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【GQ】オスカー・アイザック インタビュー(2015)

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2015年の『フォースの覚醒』公開に際してのGQのインタビュー。

 

 

 そう遠くない昔、はるかかなたでもない映画界の銀河系で、オスカー・アイザックは小規模で評価の高い映画の数々において感情豊かで悩み多き複雑な男達を演じた事により大いに信頼できるキャリアを築いた。今となっては良き思い出だ。アメリカよ、ハリウッドの次なる偉大なジェダイに刮目せよ。

 オスカー・アイザックと会う為に訪れた南スペインの、一つの例外を除けば何の変哲もないある日、私は宿泊するホテルの外の通りを行くマーチングバンドの音で目を覚ました。バルコニーに出ると、理由は謎だが、ストームトルーパーやジャワ、他にも様々なキャラクター達が行列を成し、まるでメイシーズ・サンクスギヴィング・デイ・パレードのサンタのようにダース・ベイダーしんがりを務めているのが見えた。バンドが『ダース・ベイダーのマーチ』を演奏する間、数百人の観客がそれを眺めていた。伝統的なフォーク音楽なのだろうと私は推測した。そして、言うまでもなく、本質的にはその通りだった。

 その音がオスカー・アイザックのいた場所まで届いたかどうかはわからない。もし届いていたら彼の心のどこかが震えただろうか。スターウォーズの一員になるという事は出演者というより聖職者の一員になるという事に近い。最新作『フォースの覚醒』の最終版トレーラーが『マンデーナイトフットボール』の試合のハーフタイムに放送されたのも頷ける。NFLスターウォーズと同じく自分達を神聖な公的機関として扱わせるという巧妙な策を成功させた数十億ドル規模の法人企業なのだから(ローマ数字への盲目的な愛好という共通点は言わずもがな)。一方のアイザックはというと、高潔さに拘るあまりその道を踏み外す沈鬱なビジネスマンを演じた『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』や、傷つき彷徨うフォークシンガーを演じたコーエン兄弟の『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』など、目覚ましいが陰気で風変わりな役で名を上げてきた。セックスロボットを作るフランケンシュタイン博士役で出演した彼のSFデビュー作である『エクス・マキナ』でさえ、心の本質についての議論は起きたものの、爆発は起きなかった。

ファンボーイズへ:彼がジェダイかそうでないかは明言できない。

 その上彼は生涯変わらぬノンジョイナーであり私生活を表に出さない俳優である姿勢を示してきた。インタビュー中に『ガールフレンド』という言葉を口にしただけで翌日発言を撤回しようとした程だ。そして今オスカー・アイザックは、世界で最も大きく最もマスコミに詮索されるクラブに加わろうとしている。

 それについて彼にできるほとんど唯一の反応は肩を竦める事だった。「大勢の人がスターウォーズを観に行くのは明らかだ」と彼は言う。「自分の知名度が上がるかもとは思うよ。だけど現時点ではまだ抽象的な考えだ。それに、正直な話、長いこと同じように言われてるから。新しい映画が公開になる度に、『ほらほら! 心の準備をしといた方がいいよ!』って」


 スペインは遅い時間に夕食をとるのが困難な事で悪名高いが、アイザックは食事に固執した。彼の飛行機はマルタで三時間遅延し、私達がグラナダのプラザ・デ・グラシアを慌てて渡る頃には真夜中に差し掛かっていた。木々に吊るされたライトの下に置かれたテーブルは未だ一杯で、賑やかな家族連れがシェリーを飲んだり、デザートを食べ終えたり、そうでなければ十月の土曜日の夜の冷たい空気を楽しんでいたが、キッチンは閉まりかけており、私達がシーフード・タパス店の二人席に身体を押し込むと控え目な呆れ顔を向けられた。それでもマンサニージャのグラスはすぐに供され、艶やかなピンク色をしたエビ、先端がルビーレッドの二枚貝イワシの揚げ物のパレードが続いた。この最後の料理が難関だった。

「本当に頭を食べるの?」とアイザックは尋ね、食べる、と私は答えた。若干躊躇しつつアイザックは後に続いて噛み、飲み込んだ。

「へえ、美味しい頭だ[訳注:good headにはフェラチオの意味もある]」と彼は言った。私達は顔を見合わせた。私はノートを閉じた。「さて」と彼は言った。「これで記事が書けるね」

 アイザックは流暢なスペイン語でリオハのボトルを注文した。彼はキューバ人の父親とグアテマラ人の母親の子供としてグアテマラで生まれ、マイアミで育った。重たげな瞼、角ばった顔、黒いソフト帽に、ピクトグラムのインクの染みと見紛うような暗い色の髪と目は、この場にいると昔のベルモットのポスターのようにナチュラルで古風に映る。

 現在36歳のこの俳優は、『ザ・プロミス』の撮影の為にほぼ三ヶ月の間スペインとマルタに滞在している。アルメニア人虐殺とオスマン帝国の崩壊を背景にしたラブストーリーだ(彼は素っ気なく「大規模なフーテナニー」と言った)。その前は、内部に冷却ユニットが必要な程のガチガチの特殊造形に埋もれてタイトル・ロールのアポカリプス(紛らわしいがこれは悪役の名前だ)を演じた『X-MEN:アポカリプス』の撮影で三ヶ月間モントリオールにいた。クリスマスまで米国に足を踏み入れる事はなく、ブルックリンのウィリアムズバーグにある彼のアパートメントと犬の姿を見るのは二月になる予定だ。これを石炭採鉱と一緒にする人間はいないだろうが、あちこちを巡るほとんど仕事一辺倒の生活であるには違いなく、彼もそれは実感している。「家が恋しいよ」と彼は言う。「それにインスピレーションは無尽蔵な訳じゃない。源が必要なんだ——観察したり、読んだり、考えたり。そういう事をしてないと不安になる」。彼はホテルの部屋に植物を持ち込んだりギターを手元に置いてささやかな慰めを得ている。それに、彼はハリウッドの関心の移ろいやすさを認識してもいる。「上がり下がりがあるんだ。『鉄は熱い内に打て』っていうところがあるから」

 直に会うオスカー・アイザックは歯を見せてにっこりと笑うが、考えてみると作品の中ではなかなか見た事がない。好かれたいという欲が希薄で気難しさを伴うカリスマ性を持つ主演男優が現れるのは久々の事だ。最も印象に残るアイザックのキャラクター達は、それぞれ程度の異なる脅威と孤独を投影している。ジュリアード音楽院の卒業生である彼は演技に対し学識と情熱があり、演技の持つ芸術的可能性について非常にロマンティックだ。必然的に思い出されるのはデニーロ、パチーノ、ホフマン、ハックマンだ。深い意味はないが、スターウォーズ前の世代とでも言おうか。

 2014年3月にスターウォーズの監督であるJ.J.エイブラムスがアイザックをパリでのミーティングに召喚したのはまさにその素質が理由だった。ルーウィン・デイヴィスのファンであるエイブラムスは、アイザックこそが茶目っ気のある戦闘機パイロットのポー・ダメロン役に必要な俳優だと確信した。かの監督の形容によると「素敵で、向こう見ずで、皮肉っぽく、勇敢で、忠実な」キャラクターだ(この表現がハン・ソロに酷似していると指摘されると、エイブラムスははぐらかした。「スターウォーズにはもっとならず者が登場してもいいと思うんだ」)。

 パリにて、二人はかの有名なカフェ・ド・フロールで落ち合い、エイブラムスが気長にコーヒーを飲む傍らでアイザックはエイブラムスのiPhoneを見て映画のシーンを読み上げた。それからストーリーとこの役の造形について夜まで話し込んだ。

「J.J.は僕に、これは熱烈で英雄的でドラマティックなキャラクターで、そんな人物を演じてる僕を見た事がないって言ってた」とアイザックは言う。とはいえ、彼は躊躇した。「自分が興味深いキャラにできるか自信がなかった」と彼は言う。「なんで他の誰かじゃなく僕が選ばれたのかがわからなかった」。帰国し数日間考えた後になってやっと、彼は思い切って冒険する事に決めた。

 エイブラムスは大喜びだった。「オスカーは単に大胆不敵なパイロットのような役に向く以上に遥かに洗練された俳優だ」と彼は言う。「だけど僕は素晴らしい俳優を必要としていたんだ——演技もできる素晴らしく見た目のいい男、じゃなくてね」


 しばらく前に、アイザックはちょっとしたエクササイズの為に腰を下ろした。「ふと気になって考えたんだ、『最近演じたキャラクター三人に共通してるテーマは何だろう?』って」と彼は言う。「そう、共通点は、憂鬱、怒り、追放の感覚だったよ」

 アイザックの家族は彼が五カ月の子供の頃にグアテマラからアメリカへ移住した。その頃、彼のフルネームはオスカー・アイザックエルナンデスエストラーダだった。一家はまずボルチモアで暮らし、それからニューオーリンズへ移り、そこで彼の父親、オスカー・ゴンザロは医師になる勉強をした。最終的に彼らはマイアミに落ち着いた。アイザックと彼の姉弟はよく母親に同行してグアテマラへ帰郷し、彼女は家では主にスペイン語を話したが、それでも教育の大部分はアメリカナイズされていた。

「父にとって個人主義はとても重要で、僕にそれを教え込んだんだ」とアイザックは言う。「グループの一員としての自分よりも個人として自分を認識する事の方がずっと重要だった。僕は『ラティーノ・コミュニティ』の一員ではなかった。ただ音楽に興味のある、高校の友人に囲まれた子供だった」。彼はビートルズザ・キュアーを聴いた。ハードコアバンドやthe Blinking Underdogsという名のスカパンクバンドでプレイし、ロンドンのゲットーの代わりにボイントン・ビーチのトレーラーパークについての曲を書いた。そのコミュニティの中でさえ彼は距離を保った——周囲の人間の大半がドラッグと酒に耽る傍ら、ストレート・エッジを貫いた。「それが個性の象徴になった」と彼は言う。「僕は酒を飲まない人間で、そうしているのは気分が良かったんだ」。彼は早い段階で、マイアミに数多くいる他のオスカー・エルナンデスと区別をつける為というのもあり、フルネームを切り詰めた英語風の名前を使い始めた。その一方で、彼が10歳の頃両親がアメリカ国籍を取得した際に同じくアメリカ国民になりたいか尋ねられた彼は断り、2006年まで市民権を取得しなかった。

 彼のエスニシティが否応なく前面に出てくる時もあった。ジュリアードでは例えば、ある教師が彼を脇へ連れて行き「あなたの声はざらざらしてるね。フラメンコを歌って育ったから?」と言ってきたという。この他にも同学校では微妙な動きがあった。生徒は皆、シェイクスピアチェーホフといった類の戯曲で疑似英国性を表す為に長い間アメリカ人が使ってきた上流階級の間大西洋アクセントを身につける事を求められたのだ。

「それが『標準英語』って呼ばれてたよ。つまり他の喋り方をする人は標準以下って訳だ」とアイザックは言う。「マイノリティの生徒の一部は『白人のように喋らせたいんだな』と受け取るかもしれない。ただ僕は『自分の喋り方を変えよう』と考えるんじゃなく『この喋り方もできるようになるぞ』と考える事ができた」

「自分をエスニックの俳優と思った事は一度もない」と彼は付け加える。「自分がグアテマラ人を代表するのは気が引ける。あるいはラテン系男性とか、175cmのラテン系男性とかでもね」

 子供時代、彼の忠誠を競ういっそう強力な社会的勢力があった。宗教だ。米国にやって来てすぐにオスカー・ゴンザロはキリスト教福音派に目覚め、家族全員を巻き込んだ。「父さんは極端な人だった。そして母さんは夫に従うように言われて育った人だった」とアイザックは言う。「だから神がある日父に語りかけて家にテレビを置くべきじゃないって言えば、突然テレビがなくなっちゃうんだ」。エルナンデス家は一種の伝道集会の場になった。訪米した牧師達が家族の家に泊まり、子供達とレゴで遊び、それからリビングルームで礼拝を行った。参加者はしばしば聖霊に打たれて気を失ったり異言を話した。

「怖いと思った事はなかった」と彼は言う。「なんで僕には感じ取れないんだろうというのが不思議だった」。ある伝道集会で、牧師が祈り、それから列を成す会衆に手を置くと、彼らが次々と圧倒されくずおれるのを見た。順番が来ると、アイザックは牧師に触れられても何ともない自分に気付いた。戸惑った彼は列の後ろに並び直し、やり直しを待った。今回はきちんと気を失った。「だけどフリだった事は知ってた」と彼は言う。「自分でわかってたんだ。『ニセモノめ』と思ったよ」

 その後しばらくしてアイザックは、「ゆっくりとした切断手術」と彼が表現するようにして教会から離脱した。しかしその福音派の経験は思いがけない形で現在の仕事に活かされている。演技というのはある意味で異言を話すという事に他ならないではないか? 演技のゴールは自己の放棄であり、その瞬間と憑依に身を委ねる事であって、宗教的エクスタシーとかけ離れてはいない。そして信徒達をその境地へ導くのは? もちろん一種のシャーマンだ。「監督はいつも『俳優から正しい反応を引き出す正しい言葉の組合せはなんだろう?』と考えてる」とアイザックは言う。「『正しい言葉を口にする事ができれば相手の中にあるものが解き放たれるけど、言葉を間違えば正反対の事が起きる』というわけ。宗教もそれによく似てる。誰かが瞑想の末に正しい言葉を考え合わせて、『この言葉を正確にこのように口にすれば生きる道がわかるだろう、ただし間違いなくこのように言わなくては』と考えてるみたいなものだ。問題は、それが誰にとっても同じとは限らないって事なんだ」

 そして彼の俳優業への道のりは間違いなく神の思し召しのようなものだ。「自分自身の人生を再利用しようとしてる自分を叱咤したのを覚えてる。元彼女と喧嘩してて、僕も彼女も泣いてたのに、それを記録してる自分がいたんだ。自分に対して『自分が渦中にいながら観察してメモを取る事ができるって、お前はサイコパスか? そんなの精神異常行動だよ』って思ったよ」と彼は言う。「それから彼女の家の外の芝生を行ったり来たりしながら考えてたのを覚えてる。『人生を演技の上達に捧げてきたのはたまたまじゃないんだって受け入れないと。そうしてる人達っていうのはそうせざるを得ない人達なんだ。だから人は文筆家や俳優や画家になるんだ。存在について述べずにいられないから』って」

 それは単に嫌なヤツであることに対する手の込んだ言い訳では?

「必ずしも嫌なヤツって事にはならないと思うよ。それを大金を得る為に利用したら嫌なヤツかも知れないけど……」

 うーん……あいにく……。

 アイザックは微笑んだ。「まあ確かに」と彼は言い、きまり悪げにワインを一口飲んだ。「だけどそれは二次的なものだったんだ」


 最近ではアイザックのような俳優——演技派で成熟しており、複雑で作り込まれたキャラクターに関心を抱く俳優——は大きなスクリーンではなくテレビの仕事に向いているというのが基本的な信念になりつつある。いかにも、アイザックはテレビ業界で最も評判の高い作家主義の監督の一人であり『ザ・ワイヤー』のクリエイターであるデヴィッド・サイモンの下、テレビドラマの主演デビューを果たした。HBOの『HERO 野望の代償』で、アイザックは実在したヨンカーズ市長で1980年代に裁判所命令による低所得者向け公営住宅の建設を巡るレイシャル・ポリティクスを推し進めようと苦慮したニック・ワシチコを演じた。ミニシリーズの製作を楽しんだ一方で、アイザックには黄金時代と言われるテレビ業界に対する警戒心が残った。長編映画の比較的悠々としたペースに慣れた身にはドラマの撮影はてんやわんやに感じられた。

「状況が変わってロケ地が使えなくなったり雨の予報だったりで、政治に関するとても難解な台詞の山をヴァンの中で暗記してたのを覚えてる。3ヶ月で6時間分の映像を撮影したんだ。ちなみに今は4ヶ月かけて2時間の映画を撮影してる最中」と彼は言う。「クルー全体に大きな負担がかかるんだ。品質管理が不安定な感じがする。必ず『美術部はこれを修正する時間がなかったんだな』と思うような場面に出くわすんだよ。2時間のフォーマットは違う——必ずそうではないけどね、クソみたいな映画もたくさんあるし——だけど問題なくいけば、あらゆるレベルでもっと正確を期す事ができる」

 この姿勢は彼が授かってきた映画での役柄を見れば納得がいくかもしれない。特にルーウィン・デイヴィスはほとんど神がかった幸運だった。コーエン兄弟は短気な主人公を演じられるだけでなく歌とギターが上手な俳優を探しており、アイザックはこの募集を耳にすると飛びついた。この役によって彼は一躍端役(例えば『ドライヴ』での特にぞっとする役)からほぼ全てのコーエン製ショットに出演する主演俳優になった。「幸福感でいっぱいだった」と彼は言う。「だけど自己破壊的な行動でやらかした事もあったよ」

 具体的には、ルーウィンが彼の仲間であり化身であるユリシーズという名の茶トラ猫を抱き寒さに耐えながら建物や地下鉄の駅から出たり入ったりするのがメインの、一連の屋外シーンを撮影する日の事だった。その数日前の誕生日にアイザックはベイゼル・ハイデンのバーボンをもらった。彼は昼間から飲み始めた。「グリニッジ・ヴィレッジで撮影をしてて、ギターを教えてくれてた人がガスライト・カフェの向こうに住んでたんだ。だから昼にそこに行って、一服して、まったりして……」そうして一日が過ぎ、撮影現場での仕事に戻る時間が来た。「ボトルを見て『やべ、全部飲んじゃったよ!』って」と彼は振り返る。「前も言ったけど僕は大酒飲みじゃないんだ。25歳になるまで酒は飲まなかった」。その日の午後の撮影はルーウィンがガスライト・カフェから放り出されて車にぶつかる短いシーンだった。「ファーストテイクを撮って、それを最後に記憶がない」と彼は言う。「服を着せられた事はなんとなく覚えてて、気付いたら服を着込んだままベッドで目が覚めた」

 彼曰く、目が覚めてからそう経たない内に電話が鳴った。ジョエル・コーエンだった。

 とりあえずアイザックは「やあ」と言った。

「やあ」とコーエンは言った。「それで……あのシーンは君が酔っ払ってなければもっと良かったと確信してるんだけど」

「ああ、どれくらい飲めばいいかわからなかったんだよ」とアイザックは答えた。コーエンは笑い出した。

「彼らはあれが僕の役作りなのかもって心配してたんだ。酔ってるシーンでは必ず泥酔しないといけないのかって。彼らの寛大さがわかったよ。彼はとても合理的だった。『天候が時に不完全であるように今回の件は不完全だった。正しくなかったというだけの事だ』と言ってた」

 今となってはアイザックはその出来事を主演男優になる過程の一部だったと考えている。「どこかでプレッシャーと戦ってる自分がいたんだと思う。『もし間違ったら? もししくじったら? 起こりうる最悪の事はなんだ?』って」と彼は言う。「人はしくじる。皮肉な事にそれがあの映画の主題なんだ、それなりの真実、それなりの誠実な瞬間を見つける為に、自ら恥をかく境地に辿り着く事が。大胆な事をする為には間違わないといけない。そうでなければ安全で退屈な物事しか見えないからね」


 スターウォーズ・ネーム・ジェネレーターが吐き出した名前だという事を除けば、ポー・ダメロンについてわかっている事はまだ少ない。ダメロンの『性格と特性』についての全知識は、信頼できるウーキーペディアによるとこうだ。

 ポー・ダメロンは人間の男性。茶色の髪、茶色の目、白い肌。ダメロンはレジスタンスと彼の任務への強い傾倒で知られたが、任務への責任と仲間達に対する責任との線引きに問題を抱えていた。

 複雑な心理描写に注力する俳優は滅多に気を緩めない。オスカーは事の成り行きが大規模だろうと繊細さに欠けようと仕事は同じであるべきだと主張する。

「やる事は演技だから。想像上の状況に専心する必要がある。そういう状況下での精神状態に身を置く必要があるんだ。自分のパレット全体じゃなく原色でやるように求められる時もあるけど、単純さというのは全く単純なものじゃない。短絡的なのとは違うんだ」

 それがポリシーだとしても、それを貫くのは必ずしも容易くはない。彼曰く、役を選ぶ前に作品について愛する部分を見つける必要があるという。スターウォーズの場合は何だったのだろう?

 答えまでに間があった。「あの作品は難しかった」と彼はやっと言った。「実際、久々に場違いで不安定な気持ちになった。僕はここで何をしてるんだろうと思ったよ。キャラクターに陰影をつける余地はあまりなかった。僕がそうしようとするたびに進行を遅らせる事になった。J.J.は『さっさとやって!』って感じだったよ。もっと大きな声で! もっと速く! って。自分がずっとそうやって演じてるような気分になった。変な感覚だったし、今の自分はクリエイティブじゃないと感じたよ。チャンスを逃したり十分に見つけられていないんじゃないかと不安になった」

「そういった疑問に取り組む事なく仕事に臨む俳優というのは、問題なくこなしはしても秀でた仕事はしない」とエイブラムスは言う。「キャラクターを信憑性のある生き生きとしたものにする事へのオスカーの懸念こそ、まさに彼が偉大な俳優である理由だ。ヒーローらしくあると同時に人間らしさもなきゃ。彼が加えたニュアンスのお陰で、この映画の中で最も力強い役の一人になったと思う」

 それでも尚、スターウォーズがあと二作控えている事はアイザックにとって絶望的だろうか? 彼は表情を明るくした。「まさか! なぜならこの作品が楽しいのは……全部が作り話ってところなんだ! 作り物なんだ、とても良い意味でね。徐々に作り上げていく事ができるんだ」。スターウォーズは聖書のような確実性を持つ領域だという考えに傾倒している人々にとっては心乱される発言かもしれない。だが、手つかずの領域こそが最も創造的なカンバスである事もある。以前の『フォースの覚醒』のインタビューで、アイザックスターウォーズ一作目の最後のメダルセレモニーの舞台がヤヴィン4である事に言及した。偶然にもその衛星の外景はグアテマラで撮影された。もしも、と彼は思案した。ポーがヤヴィン4の出身だとしたらどうだろう? あの日幼い彼が観客としてそこにいて、大きくなってハン・ソロルーク・スカイウォーカーのようになる事を夢見たのだとしたら? 

 驚くなかれ、アイザックは最近、偶然の発見と無意味な考え事の産物である彼のアイデアがキャノンの一部となった事を知った。新作コミック『砕かれた帝国』で、ダメロン家はヤヴィン4に移住する事が証明されたのだ。

 つまり、彼は聖書に登場しているだけでなく……「聖書の執筆を助けたんだ」救済された魂に劣らぬ満面の笑みでアイザックは言う。「僕は預言者だ!」