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【LAタイムズ】ペドロ・パスカル インタビュー

www.latimes.com

2017年のインタビューです。

 

 ペドロ・パスカルは売れない俳優だった26歳の頃、ブルックリンのレッドフックにあるワンベッドルームの安いアパートメントに引っ越した。過去15年間のうち大半は、ウェイターの仕事や『ロー&オーダー』に時々ゲスト出演するといった昔ながらのニューヨークの伝統的なやり方で家賃を稼いできた。

 ニューヨーク大学で演劇を学んだパスカルは、30代半ばになると『グッド・ワイフ』や『ブラザーズ&シスターズ』の準レギュラー役でいよいよ活躍するようになった。しかし本当の転換点は、『ゲーム・オブ・スローンズ』シーズン4で性的に貪欲な剣士のオベリン・マーテル役に抜擢された時に訪れた。彼が指導していた若い俳優がオーディションを受けた事で彼はこの役の存在を知った。パスカルは自身を録画し、友人であるサラ・ポールソンにそれを送った。彼女の親友のアマンダ・ピートは偶然にも『ゲーム・オブ・スローンズ』のショーランナーであるデヴィッド・ベニオフの配偶者だった。

 この役はチリに生まれテキサスとオレンジカウンティで育ったパスカルに多くの可能性を開いた。現在42歳の彼は、Netflixドラマ『ナルコス』でのDEA捜査官ハビエル・ペーニャ役、『キングスマン: ゴールデン・サークル』での投げ縄使いのシークレットエージェント・ウイスキー役といった大きな役で登場している。慎重に検討した末、パスカルは昨年とうとうレッドフックのボロアパートを後にする事にした。

青少年期をオレンジカウンティで過ごしたんですよね。どんな暮らしでしたか?
オレンジカウンティでは辛い時期を過ごしたよ。僕はオタクだったから。13歳で外国映画を観て『戦場の小さな天使たち』は外国映画であるべきだとか語ってたんだ。7歳の頃にHBOが見られるようになってね。両親が寝静まった頃に深夜放送で『チルドレン・オブ・ザ・コーン』をやってて、僕は音を消してそれを見てた。映画や俳優に夢中で、ダメな学生だった。よく問題を起こしてたけど、父はいつも僕たちを映画に連れて行ってくれた。小さい頃からそうしたかったんだ。

あなたが『ゲーム・オブ・スローンズ』に起用された経緯は素晴らしいですよね。ご自分のどんなところがオベリン役に相応しいと感じたのですか?
彼は危険な男だった。僕は危険ではないけど尖った鼻をしてるからね。この顔のせいでこの先もずっと悪役を演じる事になるかも。このキャラクターにはすごくセクシーな要素があるんだ。そんなキャラクターになりきるのが大好きだったよ。クリエイターから聞いた話だと、彼らがオベリンバイセクシャリティに言及しただけでオーディションを受けた俳優たちの役の表現がけばけばしくなったらしいんだ。僕にはそんな発想はなかった。僕の目には彼は男性的に映ってたからね。彼がバイセクシャルだっていう事実は彼の外面とは無関係だ。僕は[ショーランナーのデヴィッド・ベニオフ、D・B・ワイス]と同じくらい彼の事が気に入ったし、それを彼らも感じてくれた。だからキャスティングディレクターが僕の名前を聞いた事がなかったり、HBOが僕の事なんて知らなくても関係なかった。彼らは必要な人物像を知っていて、それを実現させたんだ。

Reddit には“Gay For Oberyn”なストレートの男性用のグループがありました。どう思いましたか?
素晴らしいよ。境界って曖昧なものでしょ。ストレートの男性達が他の男性に惚れる事は有り得る——惚れる事がある。だからといってその人がゲイだとは限らないしバイだとも限らないよね。すごく光栄に思ったよ。コロナ・デル・マーの中学で僕をいじめた連中もきっと今では僕に恋してるだろうね。当時も僕に恋心を抱いてたからいじめたのかも。

『ナルコス』に携わった事で麻薬戦争の理解に変化は生じましたか?
暴力的な時代にまつわるコロンビアの歴史には心が痛んだよ。国民の皆さんは素晴らしいのに、ナルコ・ステートとして連想される事から逃れられないと感じてる。コロンビアに住んで仕事をした経験は僕らが伝えているストーリーとは真逆のものだ。僕は麻薬や暴力や贅沢な暮らしのセンセーショナルな描写を促進するのは好きじゃない。そういう描写は人を惹きつけるし、予算が許す限り事実に忠実に描くべきだとわかってはいるけどね。だけどラテン文化と暴力の関連は実際のラティーノの生活とは大違いだ。そういった事は僕の経験には全く含まれてない。

コロンビアでの撮影中、このドラマの題材について反対に遭った事はありますか?
抗議は一切なかったよ。そよ風が吹き始めた午後にお母さんを散歩に連れに出た中年女性に軽い調子で「何を撮ってるの?」って聞かれて、『ナルコス(売人たちの意)』っていうドラマだって答えたら「もっと感じのいい話にしてよ」って言われたくらい。

今シーズンは基本的にペーニャが主役で、ナレーターも引き継ぎましたね。ボイスオーバーは難しい仕事ですか?
大変だったね。ペーニャはお喋りなキャラじゃないから。多くを語らないんだ。だから簡潔に述べるのが彼の場合は具合が良かった。ボイスオーバーはこのドラマの強力な美学だから、僕らにとって本当に重要な事だったんだ。くだけた口調である必要があって、押しつけがましくちゃいけないし、説明しすぎてもいけない。僕らは上手くやり遂げたと思うよ。

チリ系アメリカ人として、コロンビア人との相性はどうでしたか?
チリを好きな人はいないよ。僕らはラテンアメリカの中じゃダサいし、アンデス山脈と太平洋で隔てられてて、踊り方も知らないし。だけどコロンビアの皆さんはこの上なく礼儀正しいから他の国の悪口は言わないだろうね。覚えてるのが、これからコロンビアのフットボールチームとチリが対戦するっていう時に軍用飛行場で撮影していて、飛行機から降りる必要があったんだ。大勢のクルーとエキストラに囲まれてたんだけど、僕が外に出て「ビバ、チリ!」って言ったら全員から殺意のこもった目で睨まれたよ。彼らの越えちゃいけない一線だったんだ。

あなたの両親はアウグスト・ピノチェトが権力を握った後にチリから逃れましたね。その話を聞かせてください。
当時彼らは反対運動に携わってたんだ。撃たれた人を助けて——ある神父がその人を僕の両親の家に連れて来てね。その後当局が、サンティアゴの主要大学の一つで研修医をしていた僕の父を病院まで探しに来た。彼は裏口から忍び出て母さんと合流したんだけど、誰も助けてはくれないから、身を隠すように助言を受けた。リストに載ってしまえば人脈は無意味だった。両親は6カ月ほど身を潜めた後で壁をよじ登ってベネズエラ大使館に入り亡命を求めた。僕らはデンマークへ亡命し、その後テキサス州サンアントニオに落ち着いたんだ。

かのクーデターでアメリカが演じた役割を思うとご家族がアメリカに敵意を抱いていると感じた事はありましたか?
彼らはとても強固な急進的左派だったんだ。もしテキサスの公立学校教育によるロシアや有色人種についての偏見を家に持ち込めば、その芽はすぐさま摘み取られた。両親はアメリカを愛してたよ。

キングスマン』の制作は楽しかったでしょうね。
シュールで最高な経験だったよ。ロンドンでは魔法みたいなひと時を過ごさせてもらった。ハル・ベリージュリアン・ムーアジェフ・ブリッジスの隣のトレーラーだったんだ。ビビるには現実味がなさすぎたけど、やっぱりちょっとビビったよ。あのキャストほど心惹かれる顔ぶれはなかったし、一週間ハーネスで吊るされて大道具のゴンドラの中で回されてトイレに行きたいのを我慢した事ほど心惹かれない事もなかったと思う。

ウイスキーの投げ縄、オベリンの剣、ペーニャの銃で、習得が一番難しかったのは?
投げ縄はマジで手に負えなかった。自分が馬鹿みたいに思えたよ。数秒のいい画が撮れる程度に上手く扱えればと思ってたけど、そこまで到達するのにどれだけかかった事か。

最近何を読んだり観ていますか?
『ビッグ・リトル・ライズ』が面白かった。こう言っちゃなんだけど白人女性の問題が浮き彫りになるドラマだったね。登場人物は自分たちの特権に気付いていない訳じゃない。不条理を意識した作りになってた。トラウマを巧みに扱ってると思ったし、演技が際立ってたよ。リース・ウィザースプーンはやばかった。ローラ・ダーンなら電話帳を朗読したとしても聞いてられるよ。それにサスペンスに満ちたストーリーで視聴中ずっとハラハラさせられた。