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【Esquire】ペドロ・パスカル インタビュー

www.esquire.com

2023年4月のインタビュー記事拙訳です。

 

 

 

「殺してやる」

 ペドロ・パスカルは私に向かって笑顔でそう言った。笑顔だからといってジョークとは限らない。私たちはグリニッジ・ヴィレッジのマクドゥーガル・ストリートの手狭なトーキョー・レコード・バーにある20席のうち2つに陣取り、テーブルを挟んで向かい合って座っていた。この数日前に私は一握りの事情通のニューヨーカーたちにこのような質問で聞き取り調査をしていた。『ペドロ・パスカルを連れて行くのにいいレコードバーは?』。満場一致で返ってきた。トーキョー・レコード・バー! 人目を避けて話せる落ち着いたラウンジスペースで、何枚かレコードをかけて軽くテキーラを飲んだりなんかするのを私は想像していた。パスカルも同じように考えていた。偶然の一致ではない——私が彼にそう伝えたからだ。

 しかしトーキョー・レコード・バーは全くもってそういった店ではなかった。代わりに地下の空間(とてもクール!)でコース料理7品(とてもおいしい!)が日本酒のペアリング(とても美味!)と共に供される。一方、時間は夕方の6時半だったのだが、パスカルは「威張り屋の、あ、これは記事にしないでね」妹のラックスと8時にディナーの約束があった。時間が刻々と迫る中、私たちは体験型の空間に閉じ込められていた。世界一グルービーな人質事件のような感覚だ。

 とはいえ一つの経験だし、私たちはそれを楽しむことになった。マイケル・ジャクソンの『Don’t Stop ’til You Get Enough』のレゲエカバーがターンテーブルの上で回ると、私たちはついつい音楽に合わせて歌わずにいられなかった。突然、自分たちは疑いなくこの店で最年長の客だと気づいた。「ここに30代の人っている?」と彼は漠然と部屋を指し示して尋ねた。「もしかしたら。だけど40代は確実にいないね」と私は答えた。日本酒が届いて、私たちが互いに酌をして乾杯すると、彼のフレンドリーな目が輝き、私に何か言おうと身を乗り出した。

 その時、音楽が半ばで止まった。「オォーーーライ!」部屋の中心でホステスが声を張り上げた。「みんな盛り上がってるーーー?!?」パスカルの目が私の目と合い、彼女が店のルール――曲のリクエスト方法、予約する際にアレルギーを伝えそこなった場合どうすればいいか、メインルールは楽しむ!!!こと――を即興コメディの教師のような元気いっぱいのテンションで説明すると共にその目が見開かれた。これは大層な時間になりそうだ。

「さっきのは冗談で、あなたを殺す気はないって言おうとしたんだ」ホステスが前置きの言葉を終えてラゲエ版マイケルが突如再開するとパスカルは言った。私は頷き、彼も頷いた。彼は一瞬間を置いた。「だけどやっぱり殺してやる」

 

 パスカルに殺したいと思われたい人はいない。それは彼が過去幾年かにわたり説得力のある演技で冷血な殺人者を演じてきたからというわけではない。いいや、あなたが——我々全員がということになろうか——望むのは単純に、もっとペドロ・パスカルを摂取したいということだ。なぜなら、もしもあなたが現在有料ストリーミングTVにアクセスできる層の99パーセントと同じならば、彼をいくら見ても見足りないからだ。人は彼を自分のヒーローになってほしいと思うか、ファッション・ミューズになってほしいと思うか、仲間になってほしいと思うか、あるいはダディーになってほしいとさえ思う。彼はセックスシンボルであり、プロの俳優であり、親しみやすいが不可知で、愛くるしいがやや危険な雰囲気を持つ。他に類がない。

 パスカルが”旬の人”であるという表現は、彼が経験しているような極めて稀で文化を反映したキャリア転換期に対する正当な表現だとは言い難い。20代から30代の大部分を売れない俳優として過ごしたのち、パスカルは48歳で突如飛躍的に有名になった。彼はここ数年お馴染みの顔だ。例えば彼のキャラクターが頭を粉砕されるという忘れがたい死を迎えた『ゲーム・オブ・スローンズ』では数話に亘り登場した。それにNetflixの絶頂期のはじめに配信された『ナルコス』では容赦ないDEAエージェント役を務めた。しかし、彼の人生は2つの大ヒットドラマによって変わった。この冬彼はHBOの爆発的ヒット作『The Last of Us』シーズン1において、ポストアポカリプスのアメリカを生き延びるアンチヒーロー、ジョエル役で視聴者をとりこにした。その後彼は『マンダロリアン』シーズン3でタイトルキャラクターに復帰した。一方では菌に乗っ取られたゾンビがはびこる世界で娘代わりの存在を護る。もう一方では帝国軍やその他の脅威からベビーヨーダ(ことグローグー)を保護する。

 これらフランチャイズのそれぞれが、ビデオゲームのドラマ化とスターウォーズのスピンオフという知的財産を成す巨大なピースだ。あらゆるノイズやエフェクトに惑わされることなく、パスカルストーリーテリングに感情の軸をもたらすキャラクターを作り上げてのけた——その過程でドラマも彼自身も向上させた。「彼は見事に成功した作品の一員だけど」と彼の長年の友人であり俳優仲間のサラ・ポールソンは言う。「そういった状況では時にドラマこそがスーパースターだということもある。今回スーパースターになるのは彼で、それが見ていて本当に喜ばしいよ」

 パスカルの普遍的に近い魅力は珍しい取り合わせの資質によるものかもしれない。「俳優には2種類いると常々言っていたんだ。少々威圧されてしまう俳優と、家に連れ帰って抱きしめてスープを飲ませてあげたくなる俳優」と『The Last of Us』クリエイター兼エグゼクティブプロデューサーのクレイグ・メイジンは言う。「彼はその両方だ。どういうわけか両方なんだよ」

 こうした物事の展開の速さは、成功に対処する準備ができていなかった人間にとっては波乱だったろう。だがパスカルは旋風の中心にいながらどこから見ても寛いだ印象を与える。数回の長い会話の――そしてトーキョー・レコード・バーのおいしい7品のコース料理の――さなかで、彼はスターダムに至るまでの彼の長い道のり、各地を転々とする生活、次はどうなるかということについて思案した。彼と同年代の俳優の多くは家庭生活のおかげで地に足がついていると言うかもしれないが、パスカルには子供はおらず、最近では決まった自宅さえ持っていない。LAにアパートメントがあるが、彼がカナダやヨーロッパやピッツバーグといった広範囲にわたる撮影現場で仕事をしている間そこは空っぽだ。「考えたこともあるよ、40代なのに家を持ってないだって? 大人になれよ、って。だけど僕は、中年とはこういうものだとか、大人になるとはこういうことだっていう期待を手放しつつあるんだ」と彼は言う。「なんだって三角形の枠に四角形を押し込めようとしてるんだ?」

 それから彼は溜息を吐き、端的に言った。「ただ決断をしたくないんだよ」

 

 通常、ニューヨークの通りは有名人にある程度の匿名性を提供する。俳優もロックスターも等しく人波に紛れ、忙しいニューヨーカーたちは彼らの存在に気づかないか無関心なふりをする。パスカルはかつてこの街に住み、顔が知れていた時期も数年あったとはいえ(「2014年くらいに、電車で一部の人が僕を見て表情を変えるのがわかり始めた」)、今は訳が違う。普段のルールは適用されない。すれ違う全員がはっきりと彼に気づくと言ってもよいくらいで、彼はその現実に順応しつつある。背筋をまっすぐ伸ばし、決然と大股で足早に歩いているが、頭はわずかに下げている。ブロックごとに2、3回、彼とすれ違った相手が振り向いて写真を頼みに来る。その優に半数はこういった台詞を口にした。「今あなたに起きていることがとても嬉しいです」。しばしばこれと全く同じ言葉、全く同じ順番だった。大勢が同じ行動をとる。パスカルはそれぞれに丁重に応じた——アイコンタクトを保って気持ちを通じ合わせ、ファンは嬉しそうに去って行く。彼は受け取る愛情に感謝しているが、第三者からしてみれば、その干渉がどこかの時点で問題になり始める可能性があることは明白だ。

 トーキョー・レコード・バーでのディナーはパスカルが初めて『サタデー・ナイト・ライブ』のホストを務めたちょうど一週間後で、彼は未だ余韻を引きずっていた。「いつもは自分の限界に挑戦することにはそんなに関心がないんだ」と説得力の感じられない口調で彼は言う。彼はいくつかの例として、アルバータでの12ヶ月に及ぶ『The Last of Us』の撮影や、昨年公開の『マッシブ・タレント』における彼のアイドル(「僕の神」)ニコラス・ケイジとの共演を挙げた。「SNLは僕の人生の一週間にそれらの挑戦が詰め込まれてた」と彼は言う。それから微笑んでこう付け加えた。「これ以上ない時間を過ごせたよ」

 番組を観ていればそれが全くの真実であることがわかるはずだ。「あのエピソードを観た人で」とパスカルの親しい友人であるオスカー・アイザックは言う。「彼を大好きにならない人がいるか?これほど好感を持たれるのは、彼の胸の中で大きなハートがはちきれんばかりなのが感じられるからこそだと思う」

 今この瞬間パスカルの胸の中にあるのは、鼻水だ。SNLのアフターパーティの翌朝から風邪を引いていて体調が芳しくないのだ。いずれ休息が必要だろうが、休めるのがいつになるかは何とも言えない。今は『The Last of Us』の番宣中で、『マンダロリアン』の宣伝もある。5月にはイーサン・ホークや著名な監督であるペドロ・アルモドバルと共に昨年撮影したウエスタン・ショートフィルム『Strange Way of Life』のプレミアのためにカンヌに行く。この映画の中でパスカルとホークは旧交を温めるふたりの元ガンマンを演じる――もしかしたらロマンティックな類の旧交を。アルモドバルはパスカルを絶賛する。「ペドロに依頼したのは、しっかりしていて、感情的で、悪賢く、必要とあればいかさまをする、情の厚い人物を演じることだった」と彼は言う。「そして彼はそれら全てのニュアンスを信じられないくらい易々と演じてくれた。彼は愛らしく情にもろい人物になることもできればひどく無慈悲になることもできる。素晴らしいコミック俳優でありつつ、必要とあれば人を寄せ付けないこともできるんだ」

 だが今週最も重要なことは、まもなくジュリアードのM.F.A.[訳注:Master of Fine Arts]を取得するラックスがアヤド・アクタルの『The Who & the What』に出演するのを観に、姉のハビエラ、弟のニコラスを含むパスカルの家族たちが世界中からやって来ることだ。ディナーを計画したり、ホテルの部屋を手配しなくてはならない。彼は誰もがっかりさせないようにと必死だ。それに、去年映画のプレミアのために彼がニューヨークに滞在した時以来会っていないラックスと最大限一緒の時間を過ごしたいと思っている。「次に戻れるのがいつになるか不安なんだ」と彼は言う。「だからできる限り彼女と会おうとしてる」

 1976年、彼がまだ生後9ヶ月の頃、彼の母親と父親――母は児童心理学者、父は不妊治療医だった――は、その2年前に権力を掌握したアウグスト・ピノチェト将軍の軍事政権から脱出するためにチリから逃れた。デンマークで亡命を認められたが、その後米国へ移り、当初はサンアントニオに落ち着いた。一家はのちにペドロが11歳の頃にカリフォルニア州オレンジ・カウンティに引っ越した。彼はそれ以来ずっと東海岸と西海岸を行ったり来たりしてきた。

 パスカルはトーキョー・レコード・バーの日本酒メニューのQRコードをスキャンするためにiPhoneを引っ張り出した。彼のロックスクリーンの壁紙は80年代半ばのギターソロの最中のプリンスの画像だ。1984年、パスカルの言葉を正確に借りれば「とてもR指定の『パープル・レイン』」を観に、両親が彼と姉をサンアントニオの映画館に連れて行ってくれた。父親は映画を観に行くのが大好きだった。「母は落ち着きのない芸術家肌で、映画には向かなかった」と彼は言う。「だけどその映画館で彼女はプリンスに恋をしたんだ」。そうして幼いペドロは映画とプリンスに恋をした。

  母親はよく朝に彼を映画館まで送って行って、6時に迎えに来るとスタッフに告げた。子供が『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』を繰り返し観るのには限度がある。「『再会の時』を観てさ」と彼は言う。「ヘルペスについてのジョークが出てきたんだけど何のことかさっぱりわからなくて、でもみんなが笑ってたから僕も笑ったんだ。ついて行きたいもんね」。彼はコーエン兄弟の『ブラッド・シンプル』の予告編を見た。重たい作品だ。「わからないことにワクワクしたよ。いずれわかるようになるんだって知ってるから」

 ダフト・パンクとア・トライブ・コールド・クエストの後にパスカルのお気に入りの曲が流れた。ダイアナ・ロスシュープリームスの『Come See About Me』だ。彼の肩が上下する。表情豊かな目が喜びを表している。「会いに来て、放っておいて、会いに来て、放っておいて」彼は笑う。「それが僕のキャッチフレーズだよ」。下を向いた時、私は彼がコースの3品目の(とてもおいしい!)レタスラップをこっそり私の皿に移していたことに気づいた。早業だ。彼が家族とのディナーで食欲を失わないように今夜は私が2人分食べることになる。「僕の邪悪な面に触れるのはこれが初めてだね」と彼は言う。

 この曲が記憶を呼び起こした。「でも母さんは『再会の時』に出てくるブラウスを持ってたんだよな。あのヴィンテージの。検索して見せてあげるよ」彼がどれのことを言っているのか私はわかっていたが、なんにせよ彼はグーグル画像検索をして、私たちは気づいたらダイアナ・ロスの曲で踊りジョベス・ウィリアムズについて興奮した大声で語る中年男性ふたりになっていた。彼はまた私を殺すかどうか迷い始めたかもしれない。

 

 他に彼が子供時代に家族と一緒に観た映画の一つが1982年の『ミッシング』だった。彼の両親が後にしたピノチェト時代のチリが舞台の、実際の出来事に基づくスリラー映画だ。シシー・スペイセクのキャラクターが外出禁止令の時間を過ぎて身動きが取れなくなる緊迫のシーンがある。「彼女は母さんを思い出させるんだ。母さんは彼女と同じで100ポンド[訳注:約45kg]もなくて5フィート2インチくらい[約157cm]だった」。当時彼は7歳で、この話を語る彼の目は7歳の子供のままだ。「母さんが作中のような危機に遭っていた可能性もあったんだと気づいて本能的に反応したんだ。泣き出してしまって、その後どうなったのかはちょっと覚えてない」

 パスカルはこのごろ、17歳年下のラックスの中に母親の姿を見ている。彼女とニコラスは彼女がまた赤ちゃんの頃に両親と共にチリに帰国した。「彼女はすぐに家を支配したんだ。姉と僕が訪ねて行くとまるで邪魔者だった。僕らの母親は彼女の母親で、でもどんな形であれ僕らにこの女性の関心を得る権利があるだなんて考えは、僕らにとってはばかげてた」

 私たちが話をしていた時期はラックスを含むトランスの人々にとって特に厳しい週で、おそらくは読者がこの記事を読む頃も同じ状況だろう。このような時期が彼女にとってどのようなものか尋ねると、彼は即座にこう返した。「パンデミックという意味?」。彼の目はそれが私の質問の意味ではないと知っていることを語っており、私はすぐに聞いたことを謝った。”ラックスはただラックスでいて、楽しい週を過ごしたり卒業公演に出たり家族に会ったりしていいはずだろう? どうして彼女がTwitterやCPAS[訳注:保守政治活動協議会]のアホどもにいちいち反応して箔をつけてやる必要があるんだ? ストレートやシスジェンダーでない人々は発言をする必要もなくただ存在していることはできないのか?” これらの考えは私が彼の答えに投影しているだけかもしれない。だが彼が実際そう伝えようとしていた可能性もある。本当に、彼の目は表情豊かなのだ。

「彼女を代弁することはしたくないけど」と彼は続ける。「彼女は今もこれまでも僕が知る最もパワフルな存在であり人物の一人だ。僕の保護者としての側面は苛烈だけど、彼女に僕が必要な以上に僕が彼女を必要としてるんだ」

 きょうだいやいとこたちからのメッセージは途切れない――こっちはAirbnbがだめになり、あっちは今夜のディナーの場所を忘れという具合だ。私たちは会計を済ませてとっととトーキョー・レコード・バーを出ようとした。しかしその前に、隣の席にいてずっとクールな態度だった男性が、パスカルに大ファンであることと今彼に起きていることが嬉しいということを伝えてきた。それからシェフも同じことをした。

 

 子供の頃に映画から受けた謎の大人びた感覚をきっかけに、パスカルは1993年にニューヨークへ行きNYUのティッシュ・スクール・オブ・ザ・アーツに通うことになった。彼は市の有名な『フェーム』の学校、ラガーディア高校を出たグループとすぐに友達になった。「そこですっかりニューヨークのファミリーができたんだ」と彼は言う。「みんな僕が違う高校だったってことを忘れちゃうくらいなんだよ」。サラ・ポールソンはそのファミリーの一員であり、映画館の暗闇の中に光を見出したもう一人の人物だった。「あの頃私たちはいつも映画を観に行ってた」と彼女は話してくれた。「我を忘れて映画を観てた。どうしてかは好きなように想像してくれていいけど、私たちには精神的、感情的、心理的に逃避したい理由があったんだと私は思う」

 トーキョー・レコード・バーでの大層な経験の後の月曜日、イーストヴィレッジのセント・マークス・プレイスにあるカフェ・モガドールでブランチをしながら、パスカルはその頃のことを振り返ってくれた。NYU時代は収穫のない時期が長かったという。「マジでやられっぱなしだった」と彼は話す。90年代後半はコマーシャルや企業用ビデオのオーディションを受ける傍ら、『セックス・アンド・ザ・シティ』の頃のニューヨークのレストランの数々で給仕をして過ごした。タイム・カフェ、エル・テディズ、パンゲア、ルビー・フーズ等々――うち大半の店で彼はクビになり、彼の言うところではうち2つの店で「酒の飲み方をちゃんと学んだ」。演技の仕事は惜しいところまでいったものの他の俳優に決まり、だがそのフィードバックは代理人に見放されずに済むには十分だった。「それがあったのと、妄想的な自己決断と、他に実用的なスキルをなにも持ってないことで続けられてるんじゃないかな」

 パスカルは1999年にニューヨークからロサンゼルスに移り、テレビの仕事をいくつか契約し始めた。『バフィー 〜恋する十字架〜』、『Touched by an Angel』、最近TikTokで再燃した、MTVのセクシーなアンソロジーシリーズ『Undressed』の3エピソードなどだ。物事が芽吹き始めていた。

 そして翌年、チリにて、彼の母親が亡くなった。当時24歳だったパスカルは、ずっと年下の弟妹を含む家族のそばにいるためにすぐに故郷に戻った。「ふたりはまだとても幼くて、僕と姉よりもずっと年下だったから、親を亡くしていなかったとしても僕らはふたりの保護者のような感覚だったと思う。そんな空白を僕が簡単に埋められるだなんて思わなかったけど、ただ、いつでも頼れる存在でありたかった」。母親をたたえ、彼は彼女の旧姓であるパスカルを芸名に使い始めた。*1

 母親の命日は2月4日で、今年はパスカルSNLのホストを務める日と重なった。「あの週は怖気づいてしまって、彼女に話しかけることにしたんだ」。彼が番組のリハーサルの長い一日を終えて家に帰ると、「恐怖に襲われて――世界中の目の前で大失敗するという現実的な恐れに。それから母に話しかけたらすごく落ち着いたんだ。もっと彼女に話をしたらいいんだなと気がついたよ」

「彼女になんと言ったの?」と私は尋ねた。

「愛してる。恋しいよ。ありがとう。今怯えてるんだ。僕が自分を信じるために手を貸してくれたら嬉しい。母さんはそうしてくれるよね。そんな感じ」

 一息ついて、「それで十分なんだ」。

 母親を失った痛みは明らかに今でも深く、パスカルにとっては全く過去のものではなくて、ゆえにこの件について話し合うのは困難だ。けれど彼が気にしているのは彼自身の気持ちだけではない。他の人々――きょうだい、父親、そして彼らの家族など――の感情の安全防護対策が常に彼の念頭にある。「僕が自分自身の家族を持っていなくて、きょうだいや血のつながりのない家族が全ての感情エネルギーを注ぐ先だということと関連があるのかもしれない」と彼は言う。「でもそれとは別に僕には人の経験一般を擁護したい気持ちがあるんだ」

 それは私でさえ対象だ。「あなたがこの間の夜、あのレコードの店のことで罪悪感を抱いた可能性が頭から離れないんだよ」とパスカルは言う。「それを払拭してあげたくて」。その保護衝動は彼の作品にも自然に表れている。彼は直感的に感情移入ができる。本能的な守護者なのだ。

 2000年頃、パスカルはニューヨークへと帰り、単調で辛い生活に戻った——更なるオーディションに、更なる惜しい結果。「彼も公に話したことがあるんだけど」とポールソンは言う。「彼が食べていけるように私がその時の仕事でもらった日当を渡してた時期があったんだ」。パスカルは自分が売れる日など来ないのではないかと心配だった。「色んな死を経験したよ」と彼は言う。「僕の構想の中では29歳になるまでに大きな役がなければ終わりだと思っていて、だからこの職業に人生を捧げる意味を絶えず見直したり、子供の頃にこうなるだろうとイメージしていた姿を諦めていった。幻想を手放すもっともな理由はたくさんあったよ」

 2005年、彼はマンハッタン・シアター・クラブのオフブロードウェイ公演『Beauty of the Father』にオスカー・アイザックと共に出演した。ふたりは固い絆を築いた。「彼の実際の人間としての感情の深さと劇中の登場人物としての感情の深さは結びついているように思える」とアイザックは言う。「台詞の感情表現に矛盾がなくて、すごく生々しくて誠実なんだ」。アイザック自身、その公演以降キャリアのちょっとした急上昇を経験し、そして今は友人の身に同じことが起きる様を眺めることになった。「彼は僕の家族だ」とアイザックは言う。「名声についてはさっぱりわからんね——僕には彼がやっと、当然そうなるはずだったようにちゃんと認められつつあるっていうのがわかるだけだよ」

 確かに、スーパースターダムに至るまでにパスカルがたくさんの障害を乗り越えてこなければならなかったという事実は業界にいるファンをいっそう喜ばせている。「ハリウッドが圧力をかけてスターにしたのとは違う」と『The Last of Us』共同クリエイター兼EPのメイジンは言う。「ハリウッドは彼を締め出しはしなかったけど引っ張って来たわけでもない。腕組みをして見てただけ。彼はずっと戦ってきて、毎回毎回ものにしたんだ」。彼はこう付け加える。「ウィキペディアのページで僕の名前が永遠に彼の名前の近くにあるだろうことをただ誇りに思うよ」

 パスカルの感情は表にあり、表情豊かな目を通して発散されている。だから彼のハリウッドの同業者たちの中にパスカルアメリカ映画界で最も名の知れたストイックな人物の一人、クリント・イーストウッドになぞらえる人がいるのは少々意外だ。『マンダロリアン』クリエイターのジョン・ファブローはこう話してくれた。「元々のボバ・フェットのアーマーとTバイザーはクリント・イーストウッドの『名前のない男』に基づいてるんだ。あの作品ではアングルと帽子のつばで目を隠してる。我々はその伝統を守りたかったし、ペドロならコスチュームに生命を吹き込み衣装以上のものにするパワーと能力を持っていると思った」。パスカルの友人でありファンのブラッドリー・クーパーも件のハリウッドのガンマンを引き合いに出す。「彼は『The Last of Us』で象徴的なクリント・イーストウッド型の役を演じていると言えるだろう」

 メイジンは当初から『The Last of Us』のジョエル役にパスカルを想定していたと話す。「ジョエルの中に脆さを見つけること、自然とタフガイの雰囲気がある事実に依拠しつつそれに傾倒しすぎないことが大事だったんだ。ペドロは人好きがするけれど、とてもひどいことをするとてもタフな男を非常に巧みに演じる素質も持っている」

 カメラが回っていない時にはパスカルはまるで違う——時にはより奇矯な——顔を見せる。『The Last of Us』でエリーを演じたベラ・ラムジーは、ドラマにおいて父親代わりを演じた彼とラムジーとで共同の保護感情を発展させたと話す。*2「彼からもっと自分に優しくすることを学んだ。でも彼も自分にプレッシャーをかけるタイプだからあまり得意じゃないんだ」とラムジーは言う。「行動とは裏腹だけど彼はそれを教えてくれて、その後でわたしが教え返したんだと思う」。プレッシャーの捌け口はパスカルの80年代前半のオリビア・ニュートン・ジョンのポップ・ヒットへの意外な愛着という形で現れた。「彼が撮影現場で歌い出すことがよくあったんだ」とラムジーは言う。「特に『Xanadu』。公式サウンドトラックには入ってないだろうけど、ペドロが歌う『Xanadu』こそ『The Last of Us』のテーマソングだよ」

 それではここでダディーの件を取り上げるとしよう。”ダディー”はペドロ・パスカルの話題や様々なソーシャルメディアのファンアカウントでたくさん出てくる言葉だ。本当にたくさん。彼もそれに乗っかり、レッドカーペットでカメラに向かって「I am your cool, slutty daddy」と言ったりする。彼が出演した回のSNLのスケッチではそれをもろにネタにし、キャストが「先生って父親タイプなんだもん」「ダディーにする必要があった」「私たち先生から抜け出せないの(You have us in a choke hold)」などと叫んだ——穏当でもあり露骨でもあり、子供のように無邪気でもありディープなフェチ用語で特徴づけられてもいる台詞だ。性的だが健全。なんというか、奇妙だ。そのスケッチに(マミーとして)カメオ出演をしたポールソンは言う。「このマミーというやつにここ数年対処してきたけど、私は実際その多くの意味を理解できてない」

 クレイグ・メイジンにはパスカルのダディー的な魅力についてのセオリーがある。「誰もが人生においてポジティブな父親的存在の懐かしい思い出があるか、ポジティブな父親的存在が埋めるべきだった大きな心の隙間を持っているかのどちらかなんだと思う。懐かしさか、言うなれば無害な男らしさへの憧れだ。彼にはそれがあるし、目の奥に物言いたげな痛みもあるんだ」

 パスカルは肩を竦めてみせる。「それに年寄りだ」

 所以はどうあれ、ポールソンはこう話す。「私みたいにペドロをよく知ってると、個人的にはダディーになってほしいとは思わないね。深夜まで一緒に遊べる仲間でいてほしいとは思うけど、ダディーはちょっと」

 

 『The Last of Us』シーズン1はゲームの第一部と全く同じ結末を迎えた。つまり——この先はネタバレなので注意してほしい——ジョエルはワクチンを作るためにはエリーの脳に手術をすることが必要で、それによって彼女は死ぬことになると知った。彼は病院にいた大半の人間を、シーズンの間中ほとんどずっと接触しようと努力していた対象を殺し、彼女には嘘を伝えた。残酷だ。世間が彼に寄せる純粋な愛も少々複雑なものになる可能性がある。「その時はしばらく街を離れることになるかもね」と彼は顔を輝かせて言う。「休暇にちょうどいいかも」

 ここで持ち出すべき公然の秘密がある。何百万人もの人にプレイされてきた『The Last of Us Part II』をあなたもプレイしたことがあるなら……ジョエルの身に大きな事件が起きることは知っているはずだ。シーズン1は原作と違う部分もあったが、それでもゲーム一作目のプロットにかなりきっちりと従った。つまり視聴者は、どうだろう、ジョエルの登場が大幅に減ることを覚悟する必要があるといえるのではないだろうか。ラムジーはその可能性を受け止められていない。「もしドラマでそれが起きるなら」とラムジーは言う。「自分に心の準備ができてるかはわからない」。メイジンは語ろうとしない。「今では誰の目にもかなり明らかなはずだけど、僕はキャラクターを殺すことを恐れていない」と彼は言う。「だけど言い添えておくべき大事なことは、ニール(・ドラックマン、メイジンと並んでシリーズの共同クリエイター兼エグゼクティブプロデューサー)も僕も原作に縛られているとは感じていないということだ」

 パスカルはゲームをプレイしたこともそのシーンを観たこともないが、なにが起きるかは知っている。脚本家たちがどうするつもりか彼にはなんの情報もないとはいえ、彼はこう言う。「一作目を忠実に再現しておいてその道筋から大きく逸れるのは意味が通らないだろうね」彼はいたずらっぽくきらめく目で私を見て、再び肩を竦めてみせた。「だからまあ、それが正直な答えだよ」。公然の秘密には触れてはならないものもあるのだ。

 

 カフェ・モガドールで私たちは話を締め始め、話題はグローグー・パペットとの仕事の難しさに移った。彼が話してくれたところではパペットは2体いて、うち1つは「スペースシャトルを操縦するワイヤーみたいなものに繋がってるやつ。眉や目や唇や顎の筋肉や耳なんかが本物っぽく動くんだ。とてもリアルな共演者だよ」。そうして時間が来た。私たちが店を出る途中で、女性がぱっとやって来て彼に挨拶し、自分は彼のファンで今彼に起きていることが嬉しいと話した。この日は彼女の誕生日で、彼は名前を尋ね、少し会話をした後、彼の邪魔をしたくないからと彼女は離れて行った。彼のホテルまで戻る道すがら私たちはプリンスについてもう少し話をした。この前に私は、以前ザ・パープル・ワン[訳注:プリンスの愛称]と同じ部屋にいたことがあり、彼が従えていたボディーガードは主の名前をみだりに口にした人[訳注:Jesus ChristやGodを罵り言葉として使うことを指す]は1ドルを入れなければならない巨大なプラスチックの罰金ジャーを管理していたという話を彼にした。この話はペドロを喜ばせた。「神を信じてみようかな」

 パスカルがここまでの長く曲がりくねった道のりを辿ってきた過程には宗教心が湧き起こるようななにかがあることは否定できない。現在もいくつかのプロジェクトが進行中で、この時点で彼の次の選択にはほぼ無限の可能性がある。新たに手に入れた影響力を彼はどのように行使するつもりなのだろうか? 彼に確かにわかっているのは、今の熱量を維持することを目当てに次の一手を打つことはないということだけだ。「次が何か? さっぱりわかんないね」と彼は言う。「見せかけのものを追い求めない分別が自分にあることを願うだけだよ」

「すごいよね」とポールソンは言う。「誰もが彼と関わりたがってるんだから」。視聴者がなぜ彼に親近感を覚えるのか、どのように彼に注意を払うべきかについて、彼女にはハリウッドのプロデューサーたちに向けたアドバイスがある。「彼には成功してほしい気持ちになるわけ」と彼女は言う。「それは私が思うに一流ムービースターの印なんだよ。ロマンティックコメディー出身のブルース・ウィリスメル・ギブソンといった俳優たちの座を彼が引き継ぐのが待ちきれない。彼はなんにでもなれる。『ダイ・ハード』をペドロでリメイクしようよ。『リーサル・ウェポン』シリーズ全作をペドロでリメイクしよう」

 それが実現する可能性はある。けれどそこまでの道中はうまく切り抜けていかなければならない。今は彼がアンダードッグを脱しザ・ビッグドッグになり始める時だ。公共の場で向けられる視線がより激しくなる時期。出会う人々が、彼の成功が嬉しいことを伝えようとする人から彼からなにかを得ようとする人へと少しずつ変わっていく時。

 私たちが歩いているところを写真に収めたパパラッチの姿を彼が目にしたかどうかはわからないが、少なくとも私は見ていなかった。当日のその後、ペドロ・パスカルのインスタグラム・ファンアカウントに写真が投稿され、そのリンクが送られてくるまではなにも知らなかった(コメントには「Pはこのニューバランスの靴大好きだよね」と書かれていた)。パスカルのホテルの近くの角で私たちはハグをして別れ、彼はFedExの封筒からサインしてもらうための品を取り出したジャージ姿の男性を今度は確実に目にした。それは3人になり、6人になり、10人になった。その目には喜びではなく欲望のみがあった。大ファンだとか、今彼に起きていることが嬉しいと口にすることもない。その代わり、ここにサインして、写真を撮って、と言うだけ。eBayで売れるものをちょうだい。彼らは一日中ここで待っていたのだ。私は彼がいくつかの品にサインをするのを見ていたが、彼の姿は群れに飲み込まれて私からは見えなくなった。

 彼の後ろでドアが開き、そして閉まったのが見えただけだった。

*1:過去のVarietyのインタビューではこの理由に加えてバルマセーダがアメリカ人にとって発音しづらい名であることを挙げている。https://variety.com/2020/tv/news/pedro-pascal-the-mandalorian-star-wars-wonder-woman-1984-1234803468/

*2:原文では代名詞にshe/herが使われているが、ベラ・ラムジーさんはノンバイナリーであり日本語の「彼女」という訳語をあてるのが相応しいと思えなかったため、ここでは「ラムジー」に統一した。