koto-koto

備忘録や情報まとめのメモ。間違いがありましたらご指摘いただけるととてもとても有り難いです。

【マイアミ・ニュータイムズ】オスカー・アイザック インタビュー

www.miaminewtimes.com

ジャーナリストでありオスカー・アイザックさんの実の弟であるマイク・エルナンデスさんによる2015年12月のインタビュー記事。

(リンク先に動画あり。ストリートファイターをプレイする二人が見られます)

 

 

 待望の続編『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』にて、私の兄のオスカー・アイザックは、第二のハン・ソロにあたる熟練の技と無謀さを持ち合わせたレジスタンスのエースパイロット、ポー・ダメロンを演じている。

 その役柄は的を射ている。1991年、ウェストミンスター・クリスチャン・ミドルスクールに通う中学生だった彼は体育館の消火器にスプレーで落書きをした。当局は彼を退学処分にした。

 ハリケーン・アンドリューがカントリー・ウォークにあった子供時代の家を破壊した後、私達はデルレイビーチに引っ越し、サンタルシズ・コミュニティ・ハイスクールでオスカーは演劇と音楽を本格的に始めた。彼のスカバンドThe Wormsは我が家の地下室でリハーサルしていた。私は当時8歳で、セッションを聞くためによく忍び込んだものだった。時折ドラムを叩いたが、それは兄の真似事であることが多かった。

 私達は保守的なクリスチャンの家庭に育った、という表現では生ぬるいだろう。兄と姉のニコールは二人とも80年代半ばにそれそれ2年生、6年生でウェストミンスター・クリスチャン・スクールに入学した。私はまだ生まれたばかりだったので教化は始まっていなかったが、オスカーとニコールは模範的な日曜学校の生徒となるよう仕込まれていた。

 オスカーといとこのエドと私は熱心なファミコンゲーマーで、当時発売されていたマリオ、ロックマンニンジャタートルズのゲームをもれなく遊び尽くした。スーパーファミコンが発売されると私達はストリートファイターに没頭し、今日まで続くライバル関係が始まった。それは私の記憶にある最初の絆の思い出であり、もちろんそれが最後ではない。

 1992年にカントリー・ウォークの我が家をハリケーン・アンドリューが破壊した。家族は全員無事で、目覚めると近所は原子爆弾が炸裂したかのようになっていた。私達はデルレイビーチに引越し、オスカーは高校で演技と同様に音楽にものめり込んでいった。

 その頃、私は兄に憧れていた——私にとって彼は『クール』の体現者だった。彼は父のカメラを使い、姉弟や学校の友達と一緒にホームムービーを作っていたものだった。どの映画も前作とは違っていた。

 オスカーはマイアミで暮らす間ずっと場違いな気分だったという。「文化的にも政治的にも保守的な感じがしていて、僕が子供時代を過ごすにはちょっと堅苦しかった。アートが盛んな土地ではなかったからね」

 オスカーは高校の最終学年で落第した——ほかならぬ体育で。理由は、父によると、それが朝早い授業で(朝7時半)オスカーが遅刻したからだった。私も朝方ではなく、我が家はそういう家系なのだ。それにも拘わらず彼は高校を出たら海軍に入隊しようと決め、両親が彼を思いとどまらせようと土壇場で説得した時には既に軍隊に入る決心をしていた。

 迷彩のシャツを着た彼を見て、どうか行かないで、と思ったことを覚えている。1997年の当時は戦争中ではなかったし、私が戦争の過酷さを理解するのはそれから数年後の事だったが、それでも兵士の装いの彼を見た時、兄と会うのはこれが最後になるかもしれないとわかった。

 私達の両親は入隊を取り止めさせ、代わりに彼はマイアミデード・カレッジでパフォーマンスアートを学んで、ビルトモア・ホテルやココナッツグローブ・プレイハウス、リンカーンロッドにあった頃のエリア・ステージの舞台で様々な演劇に出演した。それに地元で人気のバンド、The Blinking Underdogsの活動も始めた。

 オスカーが理想の自分へと成長していく一方で、私は高校でちょっとしたアイデンティティ・クライシスを経験し、けれど彼の影響が後の私を形作ってくれた。彼が私にしてくれたささやかな事の数々の影響力を彼は知る由もなかった。ある時彼は私にThe DescendentsPixiesThe Specialsのパンクやスカの曲をたくさん入れたミックスCDを作ってくれた。彼と彼のバンドのステージに参加させてもらったことさえある——今でもThe Blinking Underdogsの『I Can’t Go On, I Go On』を歌ったことを覚えている。音楽はいつでも私達の間の特別な言語だった。

 オスカーはやがて2001年にニューヨーク市に移り、4年後にジュリアード音楽院を卒業した。それ以来彼のキャリアは飛躍を遂げた。

 最新の彼の仕事について、彼は『フォースの覚醒』を一番よく表す喩えは交響曲だという——「独自の楽章があり、そして偉大な音楽がそうであるように、予想が裏切られる」——そして彼のキャラクター、ポーは一つの楽器だ——「曲に入ってきて何よりも高く舞い上がるオーボエみたいな感じだった……僕はとてもはっきりした必要な役割を与えられてた」

 彼は続けて、マイアミはある意味で変わった事、以前よりも自由がある事、私達は両親のポリティクスに巻き込まれてはいない事を話した。彼はそれを認識し自分の起源を追体験する事を誇らしく思っているが、自分はマイアミを代表している訳ではない事を強調した。「僕は自分以外を代表するつもりはない。自分の出身地とか出身民族を代弁してるっていう人の事は疑ってかかるようにしてるんだ……なぜならそうやって人々の考え方についての一般論が作られるけど……人は皆同じように考えるものじゃないから」

 最後にネットに上がっている馬鹿げたオスカーの画像の数々を見てから——ありがとうインターネット、弟の仕事を代わりにやってくれて——彼がまた飛行機に飛び乗る前に私達はストリートファイターで数ラウンド戦う事ができた。その最後の時間、スターウォーズのプレミアのプレッシャーは消え去り、昔に戻ったかのようだった——以前のようにビデオゲームに興じる2人のマイアミっ子。思わず笑みがこぼれた。