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備忘録や情報まとめのメモ。間違いがありましたらご指摘いただけるととてもとても有り難いです。

Pedro Pascal: A Life of Dreaming

talkeasypod.com

ペドロさん出演回のTalk Easyのざっくり訳です。区切りのよいところに再生時間の目安を書いてあります。
なおこちらのトランスクリプトを参考にさせて頂きました!

 

03:20
サム(以下S): ペドロ。
ペドロ(以下P): Sí.
S:気分は?
P:いい気分だよ。ここに来られて嬉しい。渋滞してなかったし、運転は好きだ。
S:ポッドキャストのリスナーはLAの人のドライブや渋滞の話が大好きなんだ。
P:(笑) そっか。
S:歴史的に。
P:ヴェニスからここまで来たから長い道のりだったよ。
S:わかるよ。悪かったね。
P:でも混んでなかった。
S:それは良かった。
P:一旦110号線に——ドライブについて話そうか。
S:オーケイ、どのハイウェイを走って来たの?
P:110号線に乗っちゃえばあとはダウンタウンを抜けて、もちろんそこは混んでたけど、それから5号線に——
S:この辺りの道ではウインドウを下げた?
P:この辺りでは。
S:音楽をかけてたの?
P:今日はKPCC[ラジオ]を聞いてたけど、普段は音楽を聞きながら飛ばすよ。

S:『Unbearable Weight of Massive Talent』の公開が——
P:今日。
S:今日だね。こういう日にはどういう気持ちになる? 不安に思いながら目を覚ますの?
P:状況が変わっちゃったからどう感じればいいのかわからないんだ。少なくとも僕の経験の中では独特で、予期してたような、子供の頃とか仕事がなかった頃に想像してたような感じとは違う。だって今日はパンデミック以来、配信以外で、外に出て公開を迎えた初めての作品になるだろうし。
S:映画が世に出て、それを観るには以前のように映画館に行かないとならないって事だよね。
P:そう! 僕らはその習慣に戻るにはどうすればいいのか探ってる最中だ。普通がどうなのかわかってないけど、僕の予想とか不安の範囲にはこれが普通っていうのは存在しなくて、そうすると予想も何もない。だってもはや世の中がどうなってるのかついて行けてないし(笑) 今日はポッドキャストに出るぞ、あれっ道路が空いてる!車が少ないって事は誰も映画を観に行かないって事!? みたいな。
S:自分の問題として捉えるのは良い事だ。
P:そうだよね(笑)
S:渋滞がないって事は映画は大ゴケって事? みんな9:30の回に行かない訳?
P:僕が助演を務めた映画が失敗するって事?
S:人は俳優はナルシストだって言うけどそうじゃない。
P:違う。
S:あなたみたいに無私無欲だ。
P:そうそう(笑) 頭の中にあるのは渋滞と映画の事。
S:みんな、どうか彼のために映画を観に行って。
P:本当頼むよ。
S:この映画であなたが演じるのはニコラス・ケイジのスーパーファン役で、スペインで開催される40歳のバースデーパーティに映画の中のニコラス・ケイジを100万ドルで招致する。ニック・ケイジは脚色された俳優のニコラス・ケイジ本人役だ。実際にニコラス・ケイジの大ファンであるあなたも本人役を演じているに近いと言えそうだね。
P:うん。ちょうど世代だからね……75年生まれなんだ。早くにケーブルテレビを見られる環境があって、HBOで彼の初期の作品が放送されてたし、父は映画館に行くのが大好きでよく僕らを映画に連れて行ってくれた。
S:ケーブルテレビでは『ヴァレー・ガール』、『バーディ』、『月を追いかけて』、『ランブルフィッシュ』などを観た……。
P:そうなんだ。特に『ヴァレー・ガール』。赤みがかったフクシア色に染めた髪だよ? 今考えてみるとクレイジーなのは、ヴァレー地区に住むのはクールな事で、それから丘の向こうのハリウッドのクールな街の不良たちとか、リアルな生活とか、そういうのを彼女は見物するんだよね。とにかく幼いうちからそういう映画を吸収してたんだ。今とは時代が違ったし両親はとても若くて、放任されてる事が多かったし。テレビに関してはあまりルールがなかった。僕らを部屋の外に出すのは大変だったんだよ。
S:部屋から追い出す為に映画を気に入らないようにするのが大変だった。
P:そう。当時大きな影響を受けた事をハッキリと覚えてる映画が2つある。これからどんな映画を観るのかわからなかったんだ。幼い時から「これを観に行きたい」って言ったり、何を観に行くかわかってどんな映画か予想してる事もあったんだけど、『ペギー・スーの結婚』を観に行った時はどんな映画なのか全然知らなかったし、このタイトルからどんな内容なのかも予想がつかなかった。フランシス・フォード・コッポラが撮ってる事も知らなかったし。もう1つは『赤ちゃん泥棒[原題:Raising Arizona]』で、これもどんな映画かわからなかった。『ブラッド・シンプル』も観ようとしたな。子供の頃観に行った映画の上映前に予告編が流れてて、怖そうだったけど視覚的にすごくクールだったから。
S:9歳のペドロが「コーエン兄弟の監督デビュー作が観たいんだ」って考えてるのを想像するといいな。
P:子供の頃怖いスリラー系の作品にハマってて、今でも好きなんだけど、『ブラッド・シンプル』の予告編では男がテキサスの野に死体を埋めるかなんかしてて……
S:子供の目を惹く場面だね。
P:(笑) 僕が求めてたのはドラマ性だったのかも。わからないけど、その予告編について考えた事は覚えてる。『赤ちゃん泥棒』を観に行ったときはまだ頭の中で繋がってなかったんだ。『赤ちゃん泥棒』の最初の数分間を観てる間、驚異的な映画の予告編なのかと思ってた。あんなオープニング観た事なかった。刺激的な映像が流れて「なんだこれ?」って。それからタイトルが現れて、「これがその映画なのか!」って思ったんだ。そんなこんなで、この俳優の非凡な演技が見られるとても印象的な映画の数々とかなり早いうちに出会ってた訳だ。
S:仰々しい感じの作品たちだね。
P:大げさで、上手くハマるはずないのに素晴らしくハマってる。
S:大げさなあまり受け入れざるをえないというか。
P:だけど見返してみると、あの演技の肝は大きさじゃなくて、完全に様式化されてると同時に本当に真に迫ってるんだ。つまり、僕はずいぶん彼に媚びて(Kissing. This. Ass.)きたけど——
S:おっと……
P:(笑) わかるけど本気で言ってるんだよ!
S:続けて「でももうウンザリだ」って言うのかと思った。
P:(笑) この件に関する自分の熱心さにはウンザリしてる。僕の一番好きな事はいつだって映画だし。今でも魅了されるから、彼の演技を見返す事で、子供の頃初めて観た時に自分にとってどんなに意義があったかをしみじみ考える事ができるんだ。僕が俳優としてやり遂げたいのはそういう事で、完全に演劇的であり、真に迫っていて、技巧的で、信じられる演技なんだ。

10:26
S:あなたが言わんとしているのは彼の演技の中にある純粋さだと思うんだけど、あなたが映画を愛するようになった純粋な原点を聞かせてほしいんだ。あなたはチリで生まれて、ご両親のヴェロニカとホセは当時のチリの軍事政権と戦う二十代の若きリベラルだった。彼らは国を逃れベネズエラ大使館で亡命を認められた。その後デンマークへ行き、それから1976年、あなたが1歳の頃にサン・アントニオに辿り着いた?
P:チリを出た時は0歳9か月だった。一年弱デンマークにいて、サン・アントニオに行き着いたんだ。
S:子供時代のどの時点で自分の出自を理解し始めたの?
P:全容を理解するのは難しかった。僕と姉だけでチリに戻ったのは両親が帰国を許されてなかったからっていうのは知ってたんだ。どちらにも親戚が山ほどいるんだけど、チリのサンティアゴで暮らしてる34人の従兄弟たちの中で姉と僕だけが両親と何千マイルも離れた状況で受け入れられて面倒を見てもらう立場だったから、何が起きたのかは察した。それで段々マシンガンを持った迷彩服の衛兵が見張ってる事が怖くなってきたんだ。あちこちにいたって訳じゃないし、僕より年上で軍事政権下で育った従兄弟たちにとってはもはや日常風景だったはずだけど、幼いながらにそれを見ていてなんとなくわかってたんだ。もし両親がここにいたら連れ去られて、もしかしたら殺されちゃうんだって。僕の想像の中では両親は超自然的な存在みたいなものだったから変な感じだった。それから、僕らはたくさん映画を観てたんだけど、インディ・ジョーンズで白いドレス姿のカレン・アレンが飛行機の場所を走ってるのを見て――カレン・アレンがすごく母と似てたものだから、想像の中で父と母が銃撃の中を手を繋いで走って、埃まみれの、あの、飛行機の発着場所を——あれなんて言うんだっけ?(笑)
S:さっき『ブラッド・シンプル』に興味を引かれた話でドラマ性を求めてたって言ってたけど、ある意味あなたの生い立ちがドラマである事を考えるとなんだか驚きだよ。
P:うん、それについては話もしなかったしね。
S:ご両親とはその話はしないんだ。
P:全然。チリからテキサスに渡った家族は誰もしない。子供の頃我が家でとてもドラマチックな出来事があって、コスタ=ガヴラスの『ミッシング』っていうシシー・スペイセクジャック・レモンが出てる映画が当時のチリの軍事政権を扱ってて、アメリカのジャナーナリストが失踪して遺体で見つかった実話が元なんだ。その作品を家のケーブルテレビで観てたんだけど、シシー・スペイセクのキャラクターが外出禁止令の時間までに帰宅できなくて、街で身動きできなくなるシーンがあって。彼女がまた小柄で美しくて母を連想させたんだ。それで母の姿をそのキャラクターの状況に投影してしまって、彼女が危機に陥って怯えてるシーンで感情がめちゃくちゃになったのを覚えてる。母の身に起きていた事かもと想像すると耐えられなかったんだ。
S:まるで誰も口にしない話題がハリウッド映画という形で表現されたみたいだね。
P:うん。もうじっと座ってられる歳だったけど、その時は泣き出して観られなかったのを覚えてる。その頃8歳くらいだったっけ。
S:僕が知ってるみたいに聞くね。
P:うん、その時僕って何歳?
S:8歳は妥当なんじゃないかな。12歳になるまでに一家はオレンジ郡に引っ越したんだから。あなたは以前に「12歳の頃、僕らは既にとても特権的な状況を楽しんでいたし、他の子と比べてかなり甘やかされてた」と話してる。本当?
P:うん。甘やかされてたよ。父さんはいつも映画に連れて行ってくれて、家でケーブルテレビが観られて……。高校時代になると、母がパフォーミングアーツ・プログラムを見つけてきてくれてオーディションを受けて入ったんだ。在学中に仕事をしないといけないのは嫌だったし、両親が学業の妨げになる事に難色を示してね。車は買ってくれなかったけどお下がりのボルボをもらったよ。チリでは文化的に子供を甘やかすって事は、少なくともその当時はそういう事じゃなかったんだと思う。僕は子供の頃観てたジョン・ヒューズの映画に影響を受けて色々欲しがったけどね。父さんは「そんな奴は――」って感じだった(笑) 何でも観させてもらえたよ。一つだけ禁止された映画があったけど。
S:なに?
P:『ブレックファスト・クラブ』(笑) ものすっごく観たかった。R指定だから観ちゃダメって言うんだけど、『ランボー』もそうだったのに連れて行ってくれたじゃんって。どうも僕の父からすると、映画を通して親の文句を言う子供たちが出てくるんだ、すごくいい暮らしをしてるのに、だからこの映画は観ちゃダメ、って事だったみたい(笑)
S:あなたのお父さんが初めて観に行った時、あー、息子にこの作品を観させたら親に腹を立て始めて悪い事に手を出す事になるぞ、って考えたかと思うと楽しいね。
P:そう、そういう考えを抱くのが——
S:大麻を吸い始めて……ダメだダメだ。
P:『再会の時』だって観られたし、性描写とか暴力描写とかはいいけど、子供が反抗するのはダメ(笑)——毒されたらまずいからって。

17:06
S:
演技への興味は高校で育ったの?
P:いや。母さんがパフォーミングアーツ・プログラムを見つけてきたのは僕が幼い頃からみんなに夢を伝えてたからなんだ。映画に出たいってハッキリ思ってたし、7歳の頃からそう言ってた。
S:そう言うと周りはどんな反応だった?
P:「かわいい」って。僕は注目を浴びる機会があればすかさず人を楽しませて、うざがられるかすごく惹きつけるかのどっちかだった。両親の友達とかが相手だけど。だからみんな、ああ目立つのが好きなんだねって思って、誰も意外がらなかったよ。
S:セラピーを受けるか演技の道に進むかだ。
P:で、僕は両方ゲットした(笑) カルフォルニアに引っ越してすぐ——僕は12歳になるところだったんだけど、どんどんハリウッドに近づいて行ってるぞ、って考えたよ(笑) 
S:実際にそう考えてたの?
P:そうだよ。母がコスタメサのサウス・コースト・レパートリーのサマープログラムを見つけたのは高校入学前だった。他の友達がラグナビーチの子供演劇プログラムを見つけてきて、ラグナビーチ・プレイハウスでやるキッズショーのオーディションを受けて主役を獲ったんだ。『Wiley and the Hairy Man』ってタイトルの劇で、僕はワイリー役だった。だからもうその頃には親も、この子は本当に演技に夢中でもう水泳はいいんだね、じゃあやらせておこうって。僕が外に出る限り……一日中テレビの前に座ってる状態から引き離せる限りは気にしてなかったんだ。今はテレビ三昧だけどね! 大人はやりたい事ができるからね(笑)
S:聞いたかい、良い子のみんな。大人になったらじっと座ってテレビで自分の姿を観てられるんだよ(笑) おっとごめん。
P:自分を観てるとは言ってない(笑)
S:自分が出てる作品ばかり観てる。もしくはオーディションを受けて落ちた作品だ。
P:(笑) その通り。何度も何度も観てる。
S:作品名を挙げるつもりはないけど。そのリストは——
P:長すぎる。
S:クソ長い。
P:(笑)クソ長い、本当そう。

19:19
S:
あなたに変化が訪れたのは、僕の知るところでは、高校のシニアイヤーの時、お母さんの友人が『エンジェルス・イン・アメリカ』のチケットをくれた時。ダウンタウン・ロサンゼルスのマーク・テーパーでの公演で合ってるかな?
P:うん、ブロードウェイ公演の前だった。
S:その話を詳しく教えて
P:簡単に言うと、母の友人が午後3時に始まって夜10時過ぎに終わる演劇のチケットを持ってるって話でね。彼女はそんな長丁場には腰が耐えられないから、僕がそのチケットを欲しければ学校を早退できるように手配して劇場まで送ってあげるから友達を連れて観に行っていいって言ってくれたんだ。彼女は内容を知らなかったから僕も知らなかったんだけど、学校を早退して観劇に行けるなんて最高だって思って。それがオスカー・ユースティス演出の『エンジェルス・イン・アメリカ』だった。20世紀で最も重要な文学作品なんじゃないかな、演劇作品としてはもちろん。本として読むのと同じくらい良いからね。まだ未熟な脳であの作品を観て、全部がそこにあった。すごく鮮明に覚えてる。初めて観た時の経験が焼き付いてるから他のバージョンがまともに観られないくらい。
S:心に響いた要素は何だったの?
P:コンセプトも演出法もずば抜けてた。僕には理解できなかった事もたくさんあったはずだけどね。過度に性的で、過度に政治的で、過度に知的で、過度に感情的で、よくできたシーンや極めて知的なスピーチ、モノローグ、各章のオープニングを本能的に経験できたんだ。政治的な歴史も。それに僕らの世代は思春期を迎える前にエイズについて耳にするようになって、セックスは誰にとっても怖い事なんだって思った。
S:あなたの目に恐ろしく映ったって事?
P:みんなに恐ろしく映ったよ、友達みんな。ゲイでもストレートでも関係なく不用意なセックスは重大な結果に繋がるらしいって事が。僕らは、まあほら、セックスをしたがる年頃に入ってたからね。僕はロイ・コーンの事も、ローゼンバーグの事も知らなかったし、マッカーシズムについてもあまり知らなかった。だから知らなかった物事がなだれ込んできた感じ。だけど同時に素晴らしいプロダクションだったし、演技は凄まじかったし、特に記憶に残ってるのがハーパー、モルモン教徒のカップルと、プライアーとルイスの同時の喧嘩で、圧倒されたのを覚えてる。
S:ポリティカルな面でもクリエイティブな面でもこの作品は心に響いて、18歳のあなたの中の何かを目覚めさせた。
P:この頃同じような気持ちにさせられた事が映画でもあって、『セックスと嘘とビデオテープ』を観た時、この四人劇が頭から離れなくなった。あと『死ぬことを考えた黒い女たちのために』を取り上げた先生がいて、完全に打ちのめされたね。演劇や映画という特定の形においてそういった物語がいかに劇的な効果を持つかという点もそうだし、子供として学んだ内容にも。
S:どのような形であれ、それがあなたの中の何かを刺激し、ニューヨークに行ってNYUに通い一旗揚げるべきだと思わせた。
P:うん……。
S:怯えたような表情で僕を見てるけど。
P:ニューヨークが舞台の映画はたくさんあって、僕はそういう映画を観てて——子供の頃父と一緒にニューヨークに行った事があって。最初はハリウッドでの暮らしを夢見てたんだけど、本物の役者はニューヨークが輩出してるってわかった。それにあの街をすごく気に入ったんだ。子供の頃に『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』を観たよ。93年当時はセカンドアヴェニュー・シアターがあって、デヴィッド・マメットの『オレアナ』が上演されてた。それからストンプができて、僕の知る限り今でもあると思う。その特権に軽く驚嘆する事があるんだ。僕はいつかニューヨークに来られるって想像してたし、本質的にそれが実現する事を信じてたから。僕はNYUに入ったけど、両親は行かせたがらなかった。入学を止められかけたよ。我が家では学業をこなしてカレッジに入った後なら好きにしていい事になってたから。そういった事がちゃんと成し遂げられてチェックリストが埋まってさえいれば、セックスだのドラッグだのをしようと勝手だった。
S:だけど行かせてくれたんだよね。
P:そう、最終的にはNYUに通わせてくれた。だから行って、そこで現実を突きつけられた。
S:何に?
P:そこでの暮らしに(笑) オレンジ郡で甘やかされて割と守られてた子供がニューヨークへ移って厳しい冬を過ごす事になって、周りのみんなは自分よりクールで、才能があって、賢くて、自分は最高って思ってる。自分は重要な人間なんかじゃないって気付くんだ。それに誰もが自分と同じくらい野心的で、自分の場所を探してて、もっと大きな世界で実存的な戦いをしてる。

25:46
S:ニューヨークでの足がかりを探す中、大学時代のどこかで、もしかしたら演技を仕事にできるかもとか、居場所はここだと感じる瞬間はあったの?
P:1年生の頃のクラスメイトでユージーン・バードっていうすごい俳優がいて、彼は早くから仕事をしてたんだ。フィラデルフィア出身の今も活躍してる素晴らしい俳優だよ。彼には当時からプロの代理人がいてね、寛大な事に「君はすごく有能だから自分のマネージャーに会わせたい」と言ってくれて、彼のマネージャーに会って、プロの代理人ができたから、NYUを卒業する前にオーディションを受けてたんだ。
S:早くも2つのブレイクがあったんだよね?
P:在学中に起きた出来事の一つが、『真実の行方』っていう映画の公開オーディションを受けたんだ。一次審査を通って、二次を通って、スクリーンテストまでいった。
S:エドノートンが演じた役?
P:うん。確かレオナルド・ディカプリオがやる予定だったのがだめになって候補者を探し始めたんだ。注目の役だったんだよ。僕は受からなかった。ショックだったけど、次は受かるぞって気持ちになった。もちろん次も落ちて、次も、次も、次も落ちた。
S:バフィーで役をゲットするまで?
P:バフィーで役をもらった時は大興奮だったよ。第4シーズンの1話目でちょろっと出て死ぬ役だったけど、この上なくワクワクした。
S:22、23歳でエージェントとかマネージャーがついて、いくつか役をもらって——
P:組合の仕事をもらって。
S:組合? 足場ができてたんだね。
P:うん。そう思ってたよ。

27:46
S:
まだ23歳だったあなたは、お母さんが亡くなった事をどう理解した?
P:言うまでもなく、とてもトラウマチックだった。また状況が……彼女はチリで亡くなって、チリでは遺体に防腐処理をしないからすぐに式をするんだ。だから、知らせを受けてすぐ、葬儀に参加する為に飛行機に乗って夜間飛行でサンティアゴに向かった。
S:それじゃ、ニューヨークから飛行機に乗って……
P:LAから。知らせを受けた時ロサンゼルスにいたんだ。『ダーク・エンジェル』っていうドラマのパイロットのテスト撮影をしてて。タイタニック以来初めてジェームズ・キャメロンの名前が出た作品だったから、当時は大きな意味がある作品だった。香盤表に4番って書かれてるような脇役だったけど、僕はやっぱりこの役で人生が変わると思ってた。
S:その代わりに全く別の方向に人生が変わったんだね。
P:そうだね。
S:飛行機に乗ってる間は何を考えてた?
P:はっきりしないんだ。隣に男性客が座ってた事は覚えてる。僕がどういう状態なのか彼は知らなかった。空の旅って刺々しい経験になる事が多いけど(笑)、僕の隣にいた男性客は僕を庇ってくれるような感じだったのを覚えてる。僕が明らかに辛い状況にいると察してくれたんだろうね。覚えてるのが——よくわからないんだけど、たぶんスチュワーデス相手に僕の反応が鈍かったか何かして、彼女は僕の様子がおかしい事に気付いてなかったのかな。それで隣のお客さんが、見ず知らずの人なのに僕の代わりに答えてくれたんだ。「彼はいらないって言ってるよ」みたいな感じで。それだけ覚えてる。それから、夜間フライトだったんだけど当然眠れなくて、飛行機を降りて……チリも夏だったから美しい時期で、あんな事が起きたのにとても美しい日だった。正直に言えば、信じられないような状況だったって記憶してる。
S:信じられないというのはどういう意味で?
P:僕は彼女をとても愛してたし、ある意味で人生最愛の人だったんだ。当たり前のように世界は動き続け、太陽は照り続ける。火葬場に向かう車の中から庭で遊ぶ一家を眺めてる事を飲み込むのが難しかった。目の前で起きてる全然違う物事を同時に経験してるっていうのが。
S:他の人は喜びを感じられるっていう事が飲み込めなかったんだね。
P:まるで少しも……、ただ美しい夏の日で、それを何よりも覚えてる。何もかもが止まったのに何も止まってない事に僕はすごく腹を立ててた。
S:大事な人を亡くす事によって最も気持ちが挫けるのはそこだよね。君の場合、彼女は君の全てだった。それでも世界は続く。
P:うん。それが辛かった。仕事を探す事は生活を続ける事の一部だったけど、ドラマとかビールのCMのオーディションで頭がいっぱいになるのは馬鹿馬鹿しさもあった。
S:起きた事を思うと馬鹿みたいに思えた。
P:そう。あまりに馬鹿らしかったし、それから……。予定ではロサンゼルスで粘るつもりで、バフィーに出たり演劇の賞をもらったりしてLAでは上手くいきそうに思えたから、ここに残ろうって考えたんだ。でもわかったというか——LAは大好きだけど、必ずしも成長に適した環境って訳じゃないでしょ? ビーチに行ったりハイキングをしたりする分にはいいかもしれないけど。割と誰にとっても大変な環境だと思うんだ。それで、自分の手に負えなくなる恐れがある事をはっきり理解して、ニューヨークに戻ったんだ。
S:身を投じたんだね。
P:うん。元々の目標はニューヨークで演劇の仕事をして本物の俳優になるとかそういう事で、そうすれば人生の意味を理解できるはずだった。大間違いだった(笑) 大間違い。ニューヨークの方は「え、あんた帰ってきたの? それで?」って感じ。「小僧、レストランに戻りな」ってね(笑) NYUを卒業してからウェイターをしつつ仕事のないすごく厳しい一年を過ごして、それからLAに行って運を試すべきだって考えたんだ。それで組合の仕事をもらったりパイロット版のスクリーンテストを受けたりした。それでニューヨークに戻って、結局は……(笑) 人が人生や目標にロマンを抱く事をやめさせたい訳じゃないんだけど、あれは実践的な行動とは言えなかったし、相当遠回りした感じがしたよ。エージェントからは見放されて、警察の世話になる訳にはいかないし、それから9.11が起きて、すっごくクレイジーな時代だったから。
S:あなたは以前にインタビューで「どんな風にキャリアを積むかというたくさんの構想を僕は手放さないとならなかった。それは子供の夢だったんだ。チャンスは早くに巡ってきたけど、うまくいかなかった。ふと気づいたら30代半ばで、次のオフブロードウェイの作品だけでは食っていけない状況だった」と話してる。なにも上手くいかない時にどうやって諦めずにいたの?
P:……ウェイターの仕事でしのいでたよ(笑) 無能なウェイターだったけど。でも切り抜けられたのは友達と家族のおかげだ。あまり感傷的になりたくはないけど、姉が惜しみなく援助してくれたんだ。彼女はそのためにニューヨークに住んでいた部分もあった。大人になると自分のファミリーを築く必要があると思うんだけど、僕のそれはとても緊密な関係だった。いつでも誰かが援助してくれたし励ましてくれた。だから、なんというか、続けるだけの何かが常にあった感じかな。代理人がいなくなる時、契約解除になる前に予定を入れたオーディションがあったのを覚えてる。僕が申し込まれたのはキャラクターのファーストネームパスカルだからってだけだったと思う。マサチューセッツ州のボストン郊外のローウェルにあるマリメック・レポートリー・シアターでのワールドプレミア公演だった。エージェントから「これ以上君の代理人は務められない」っていう残酷な電話がかかってきた時に、「木曜の予定はどうなるの? まだ行く事になってる?」って聞いたら「そうだね」って。で、行ったら受かったんだ(笑) それで、確か『Fallen』ってタイトルのその演劇の為にマサチューセッツ州ローウェルに行った。モニーク・ファウラーっていう素晴らしい女優が出演してて、仲良くなったんだ。当時の僕の立場を知った彼女が「私のエージェントに紹介する」と言ってくれて、彼と会ってとても良いこじんまりとした事務所に行って、地域劇団の仕事は順調にもらえるようになった。その次の仕事は確かワシントンD.C.でのシェイクスピア・シアター・カンパニーの演劇で、それからケープコッドの小さな劇場。本格的に地方の仕事をするようになった。オレゴンに行ったし、マサチューセッツでもD.C.でもかなりの仕事をした。
S:少しずつ軌道に乗り出したんだね。
P:中心地から離れた注目を浴びない仕事ではあったけどね。それがまた僕にとっては重要に感じられるようになったんだ、良い役を勝ち取れる限りは。僕は古典作品のトレーニングを経験してなかったから、『ハムレット』や『トライラスとクレシダ』といったプロダクションで役をもらって、プロフェッショナルな環境が訓練場になるのはクールだったしね。その後ニューヨークでの初めての演劇に出演が決まった。ニロ・クルーズの『The Beauty of the Father』という演劇のオフ・ブロードウェイ・プレミアで、彼が『熱帯のアンナ』でピュリッツァー賞を獲ってから初めてニューヨークで制作した作品だったんだ。すごく大きな仕事だよ。オスカー・アイザックっていうやつがもう一人の主役だった。その仕事で少しだけオフ・ブロードウェイのコミュニティに入る事ができた。そこに至るまでに何年もかかった。2001年の8月にニューヨークに戻って来て、2005年の冬にその公演のリハーサルに入ったんだ。その間の年月は一生くらい長く感じたよ。

37:22
S:更に2005年から2014年の『ゲーム・オブ・スローンズ』出演まで……
P:(笑) うん。
S:途方もない回数の挫折や不合格を経験したと思うけど、あなたはそれにめげる事なく少しずつ成功していった。長年の友人であり優れた俳優のサラ・ポールソンが、あなたについてこう言ってる。「彼はかなり正しい自己認識を持ってる。今思えば、彼の心の奥底にはいつも、いつか自分のやりたいようにやりたい事をやるんだと言っている声があったんだとわかる」。
P:僕に話してほしかったな。
S:ニューヨークタイムズに話した。
P:(笑) なぜかというと、その厳しかった期間、彼女は僕が食料を買うお金を自分の日当から支払ってくれたから。彼女にはたくさんの場面で救われた。母が亡くなってすぐの頃、僕はLAに車を持ってなかったんだけど、サラが妹の車を僕に譲るように手配してくれたんだ。彼女の妹には代替手段があったんだと思うんだけど。とにかくそうやって何度も救われた。もしかしたら彼女が気付いてくれたような自己認識というやつが無意識の支えになってたのかも。僕はそれに気付くのに苦労したけど。
S:自分自身について?
P:そうだよ。30代に入ってもまだオーディションを受けたりなんかしてる感覚を想像してみて。あなたには他にスキルもないんだ——あなたが僕ならね(笑)
S:それに、他のスキルを身につけるには遅すぎるかもと思った?
P:そう、僕にとっては手遅れだったし、この生き方がひどく実用的だと感じられるようになってきたんだ。自分の知っているやり方だったからね、オーディションの受け方とか。生活にはそれで十分で、あとは調子のいい月もあれば悪い月もあり、いい年もあれば悪い年もあった。それがやがて仕事が途切れないようになってきた。演劇界に関しては、次に進めなくてニューヨークでの限界を感じてた。2010年から2011年にかけての冬の公演で、候補になったけど獲得できなかった仕事が2つあるんだ。1つはマイケル・グライフ演出のシグネチャー・シアターの『エンジェルス・イン・アメリカ』のリバイバルで、僕に合う役がなかった。もう1つは『ヴェニスの商人』で、確かシェイクスピア・イン・ザ・パークからブロードウェイに移る予定だった。どちらも受からなくて、つまりパイロットシーズンにスケジュールが空いてた。僕はすごく現実的なやり方で取り組み始めた。家賃の足しにできるようにシリーズのレギュラー役が欲しいっていう方向に夢が変わったんだ。
S:そのパイロットシーズンはうまくいって、君はたくさんのドラマで多くの端役をもらった。
P:単話の仕事だけどね。

40:30
S:最後にいくつか話題にしたい事がある。あなたは『ゲーム・オブ・スローンズ』に出演が決まって、撮影のどこかの段階でベルファストにいて、レッド・キープの大広間に座って、周囲の巨大なセットに命が吹き込まれるのをその一員として見ていた。苦労を重ねた末に辿り着いたその場所を眺めていた時の事をどう受け止めてる?
P:間違いなく今までで最高の日の一つだった。
S:以上。
P:以上。うん……セットは美しくて、メインの演者がたくさんいて、僕は座ってて(笑)
S:そこが大事。
P:(笑) まあね、崖からぶら下がってるとか走ってるとか悪天候の中にいるのと違って、セットにいて、全てを眺められる席に座っていられたんだから。衣装を着た群衆みんなをね。素晴らしかったよ(笑) 素晴らしかった。そんな期待、もう手放してたし。
S:子供の頃抱いてた夢を。
P:そう、そんなレベルの仕事ができるっていう期待を。だって話したように、当時『ロー&オーダー』の一話にゲスト出演するのだって大勝利みたいな感覚だったんだ。年月を経て夢の規模が変わってたから。子供の頃はドラマに出てそんな風に椅子に座ってることを夢見てた。『ゲーム・オブ・スローンズ』のオーディションの過程で動揺したのを覚えてる。ヒット役になる可能性のある役を欲する気持ちに対して完全に耐性ができた訳ではなかったけど、仕事についてはより健全な期待を持つようになってたからね。それが再び脅かされ始めた時すごく怖かった。こんなに強くなにかを望むのは危ないと思ったよ。期待するのはとても苦痛な事だって学んでたから。
S:なぜなら頻繁に失望してきたから。
P:(笑) しょっちゅうね。19歳の頃の『真実の行方』から始まって、この時点で38歳だった。『真実の行方』だけに留まらず、その間、惜しかった事がたくさんあったんだ。だから、ああ自分はこの役を獲得して今演じてるんだって思ってそこに座ってるのは、控え目に言ってもすごく楽しい瞬間だった。

43:13
S:つまり、あなたには子供時代の夢があり、それが少し叶ったと思ったらすぐ、20代前半の頃に世界が崩れ落ちてきたようなもので、あなたの期待はリセットされた。40代前半になる頃にはもう一度何かを望む事は気持ちの面で危うい事だと考えていた。だけどこの5年間であなたはたくさんの事を成し遂げ、子供時代の夢は実現してる。話を終える前に聞いておきたいんだけど、望んでいたものは手に入った?
P:うん、望んでた以上のものが。人は自分の想像力の純真さとの関係を維持すると共に、現実的にそれを育てて、自分を律する必要があると思うんだ。真理と向き合わなければ何をしたって不十分だから。それが何を指すんであれね。
S:聞こうと思ってたんだ——
P:真理とは何か?
S:あなたにとっての真理とは? 47歳の今の時点で。少なくともあなたの中の真理とは?
P:自分に優しく、他人に優しくする事。良い仕事をしたいと思うなら良い人間にならないといけないし、良くあろうとするならまず自分自身や大事な人たちを相手にそうしないといけない。この5年で起きたどんな事よりも僕にとって重要なのは人との繋がり、良い人間関係を持つ事だと言えると思うし、持続的な事だから、関係を保つ事が大事なんだ。あとは仕事の初日の共演相手がニコラス・ケイジだなんてどんだけエキサイティングかって事もね。2020年のパンデミック・アポカリプス状態のロサンゼルスを出て、『ゲーム・オブ・スローンズ』で僕の頭がかち割られたのと同じクロアチアドブロブニクの、あの決闘シーンを撮ったアリーナの目と鼻の先で撮影が始まって。本当に現実? と思うような出来事だった。
S:物事がうまくいっている事を再認識するのはいつだって努力が要る事だ。この会話の最初の方であなたは34人の親戚のうち自分と姉だけがアメリカに残った事実に少し当惑してると言ったよね。今それについて考えてるのは、あなたが以前にこう発言しているから。「両親がチリを脱出した時どんな苦労をしたのか想像もつかない。それが僕に罪悪感を残し、僕ときょうだいたちの世の渡り方を決めたのかもしれない」。両親が独裁政権から逃れたかどうかに拘らず、特権と共に育った誰もが背負うこうした罪悪感を、あなたは今でも抱いてる? それとも今となっては感じないで済む?
P:うーん……僕らは今でも罪悪感を抱いてる。世代の問題だね。両親は大変な思いをしたとはいえ、とても幸運でもあったと思うんだ。彼らは彼らの両親の貧しい生い立ちに対して罪悪感を抱いてたと思う。僕らに制限を設けなかった事はとても矛盾してるけど。僕の2人の姉妹も弟も自分の目標や繋がりを重視する事に関しては妥協しなかったからね。4人きょうだいの内でも僕は……これを聞いたら彼らはすごく心を痛めるかもしれないけど、家族に強い愛着を持っていて、しがみついてる感じ。その理由は明白だと思う。両親がどうしてしたいようにしていいって感じさせてくれたのか不思議なんだ。だから、自分の前にはっきりしたわかりやすい形がない事で……必ずしも罪悪感ではないけど、何て言うんだろう、ある種の義務感というか、感謝の気持ちというか。よくわからないんだけどね。わかる必要はないんだし。
S:何を考えてた?
P:謎について考えてた。物事の意味を見出したり、理解したり、形にする事について。それができれば、こうしてあなたの前に座ってこの話をするに至るまでの全ての出来事を理解しようとする事ができるから。僕には出来事をどう繋ぎ合わせればいいのかとか、実際にどんな意味があるのかがわからなくて、今はその謎をただぼんやり見つめてる感じかな。すべては何を意味してるんだろう、って(笑) うわー、もう僕を止めて! もうここら辺でやめておくよ(笑)
S:あなたは自分に厳しすぎるよ。
P:わかってる。よく言われるんだよ。それが目標だね。自分に厳しくするのをやめる事。
S:ご両親が今のあなたのようにクリエイティブな人になる許可を与えた理由はわからないけど、おそらくリスナーの多くを代表して言えるのは、彼らが許可を与えてくれて嬉しいし、あなたがそれを活用してくれた事に感謝してるよ。
P:ありがとう、サム。
S:大丈夫?
P:大丈夫だよ(笑) 無防備な感覚だけど、それは良い事だ。
S:無防備でいてくれてありがとう。
P:どういたしまして。
S:ペドロ、会えてよかった。
P:こちらこそ、サム。ありがとう。