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【GQ】マイケル・B・ジョーダン カバーストーリー

2015年、まだ『クリード』の公開前の頃のインタビューの拙訳です。

 

  マイケル・B・ジョーダンは9年前、19歳の時に、十代の俳優としてのキャリアをその後に繋げられるか確かめるためにロサンゼルスへ引っ越した。しかしその以前に彼はニューオークの物騒な地域に住んでおり、そこで学んだ多くのことが武器となった。「俺は今でも東海岸のシティボーイだよ」と彼は言う。「東海岸で育ってマンハッタンに移ればなんとかなるって意識が身につく。必死に働くこと、自分から勝ち取りに行くこと、不屈の精神がね」

 それが上手く働いてきた。彼は2013年、一話完結型の現代ドラマの傑作『ザ・ワイヤー』『Friday Night Lights』でティーンエイジャーを演じた後、大晦日のサンフランシスコで予期せず地下鉄警察に射殺された22歳のオスカー・グラントの人生最後の日を再現した『フルートベール駅で』*1でスクリーンを支配しその演技で称賛を浴びた。彼は今年既に『ファンタスティック・フォー』リブートの一員としても登場し――作品の結果は思わしくないとはいえ彼の名声の印だ――そして間もなく、思いがけずできた続編であり思いがけず前評判のいいロッキーシリーズ作品『クリード チャンプを継ぐ男』でタイトルロールを演じる予定だ。

 一方、マイケル・B・ジョーダンのほとんど全ての言動――公の場やメディアにおいての――は極めてスムーズだ。静かな輝きと威厳ある身のこなしより優先することなどそうないとでもいうように。時にそれが、彼がスクリーン上で最高の演技をしているのを観るとき確かにその存在を感じるような、少々危険な鋭さを持ちつつより聡明でより深い考えを持つ"本当のマイケル・B・ジョーダン"を封じ込んでいるかのように見えるとしても。

 彼がGQ誌にどれだけのマイケル・B・ジョーダンを見せるつもりか私には確信がない。常に計算されているのかもしれない――彼は何度か今誌の表紙を飾ることについての興奮を表現したが(「夢みたいだ。クレイジーな出来事だぜ! GQの表紙に子供の頃憧れててさ――現実じゃないみたい」)、おそらく今が少し砕けた態度を見せる時だと判断したのだろう。けれど今夜の状況が彼をその方向に導いた可能性もあるとも思う。後から思えばのっけから始まっていたのだ。

1.ニューヨークでの夜

 我々はマンハッタンのロウワー・イースト・サイドにある評判のいいレストランで8時にディナーを共にすることになっていた。二人ともそこに行った事はなかったが、彼のマネージャーから勧められたという店だ。「食道楽だからさ」と彼は私に言った。「おいしいものがあればどこでも」。

 私が先に着き、ジョーダンの名前で二人用の席を頼むとすぐに席へ通された。約15分後にジョーダンが到着し、グリーターと話しているのが見えた。そして彼はそこに佇んでいた。表情を変えず更にそこに佇み続けた。二、三分待たされた後でやっと彼は席まで案内された。「関係ないよ」何があったのか尋ねた私に、彼は明らかに苛立ちながらもそれを表に出さないよう努めているかのように答えた。何が起きたにしろ、成功した黒人男性がこの世界を渡るにあたって耐えなければならないパターンにぴったりはまりすぎていると考えているかのように。

 実際のジョーダンの苛立ち具合はその少し後、彼がある種の仕返しをした時に初めて明らかになった。それは彼が一杯目のテキーラとキュウリのカクテルを注文した後に起きた。彼は一口飲んでこれでは味がわからないことに気づいた――口の中にチューイングガムを入れたままだったのだ。ガムを口から出すと素早く行動に移し、私にはそれが追い切れなかった。「テーブルの下」と彼はにんまり笑って告白した。「俺ってお上品だろ」

 私は少し驚いて――それに早とちりを避けたくて――本当にガムをそこにくっつけたのかと尋ねた。

 「ファック、マジでやってやったよ」と彼は答えた。「理由もなく外で待たされたんだ。俺はニュージャージー育ちだぜ。ホンモノの人間が好きだ。なにもないとこからここまで来たんだぜ。冬の間暖をとるためにオーブンを開けておいて家族とキッチンで寝てたような環境で育ったんだ。そんな生い立ちだとこういう余計なことは……余計なことでしかないんだよ、いいか? 相手がホンモノじゃなきゃわかるんだ」

 マイケル・B・ジョーダンが明らかにしているように、彼のキャリアは注意深く進められているものだ。「振り返ってみると」と彼は言う。「長いことこの仕事をやってきたけど――16年とか――駆け足でやってきた訳じゃない。俺は一気に売れた訳じゃないし子役スターでもなかった。そういうキャリアじゃなかった。段々馴染んでいって、徐々に恋に落ちていったんだ。それをなんとなくわかってた。いつも五歩先、十歩先を読むのが得意なんだ。先のことを考えるのがね。なんに対してもリバースエンジニアリングをするんだ」

 つまり彼にはプランがあるということだ。たくさんのプランが。テーブルの向かいに座った直後からそれは滲み出ていた。彼は自信に欠けてはおらず、そうあるべき理由も見当たらない。今現在は彼の制作会社に専心している。映画はもちろん、アニメも扱う。「アニメにどっぷりなんだ。オタク的なとこがあってね」彼は自分のマンガ愛と、これがいかに負け犬の物語に友好的なジャンルかを語り、「だから響くものがあるんだ」と言った。それとテレビドラマだ。「スマートなドラマだ――言うまでもなく俺はドラマ出身だからね……実話を伝えるのも大好きだよ」と彼は言う。「アメリカの黒人男性の経験を伝えるのが大好きだ。でも現代の話だね。俺たちの出自を人々に思い出させるのに必ずしも時代モノに戻ることはない。今の俺たちの立ち位置や将来どこに向かいたいかというのはもっと現代的な感覚だ。だからそういう設定のプロジェクトを選ぼうと努めてるよ」

 現時点で充分に描かれているとは思わない?

「俺の好みではね。誰かの成果を取り上げるつもりじゃない。バトンを拾うのは次世代の役目だと思うんだ。かつてのフィルムメーカーの多くは彼らの時代の犠牲者のように俺は感じてる。特定のレーサーは特定の行程の特定のレースにだけ出られて、いずれそのレースを続ける次世代にバトンを渡さないといけないんじゃないかって。世代的に言うとできる限り我慢してきたレーサーは大勢いるように思う。すごく興味深いよ。俺のやりたいことに設計図はない。世の中にはレオがいて、トム・ハンクスがいて、ブラッド・ピットがいて、ベン・アフレックがいる――彼らはいつもぴったりの役とキャラクターを演じてる。これがアフリカ系アメリカ人のキャラクターとなると旧世代と新世代じゃでかいギャップがあるんだ」彼は前者のうちの幾人かの名前を挙げた。「ウィルだったりデンゼルだったり、チードルだったりフォレストだったり、ジェイミーだったり……そこには巨大なギャップがある」彼は明らかに言わんとしていること――ジョーダンの世代で名を成している人物はそう多くないということ――を口に出さなかったが、私がそう言うとうなずいた。
「間違いない」と彼は言う。

 レースやチャンスや現代ハリウッドといった課題に対する彼の言葉の多さは十分に意味が通っている。たとえば彼が「黒人俳優が演じるチンピラとか売人とか、母親や父親を知らないステレオタイプなキャラじゃない役柄」を探している理由を想像するのは容易い。「また同じタイプさ。ステレオタイプには興味ない」。

 だがこれは単にプランのうちの一つであり、それらの内容が明らかになるにつれ互いに相反するように見えることも多い。彼がそれを気に病んでいる様子はないし、我々も深く悩むべきではないのかもしれない。率直な見方をすれば――そして彼の溢れんばかりのやる気と最も調和しているように思える選択肢としては――マイケル・B・ジョーダンは一つの道、一つの計画に縛り付けられるには有り余るほどの可能性を感じているのだろう。彼はあけすけな論理についての偏狭な制限に影響されない、底抜けの野心とでも呼ばれそうなものを持っている。だから彼は同じ数分間のうちに、アフリカ系アメリカ人のキャラクターの現代的な描き方について熱心に議論すると共に、等しい信念をもって「白と黒の境界線を曖昧にするムーブメントの一員になりたい」とも宣言し、こう話した。「『クロニクル』(成功した低予算のSF映画であり彼がファンタスティック・フォージョシュ・トランク監督と初めて組んだ作品)が終わった後、白人のキャラクターとして書かれた役しか志望しないってチームに伝えたんだ。俺ならやりきれるって」。
 彼のチームはそれを現実的だと捉えたのかと私は尋ねた。
「俺の感触では」と彼は慎重に答えた。「エージェンシーの立場から、彼らは俺がやろうとしてたことへの熱意を尊重してくれたよ」

 では、白人として書かれたキャラクターしか志望しないと言ったときエージェントはなんと?

「『言いたいことはわかるし理解してる』。エージェンシーで複数のエージェント達と初めて面会した時俺が言ったのは、"有名になりたくてここに来た他の俳優と一緒にしないでくれ。俺が今置かれてる状況、俺の前に提示されてるチャンス、『フルートベール駅で』のような映画に出ることで予期される事を理解してくれ"ってことだった。俺のコミュニティー、アフリカ系アメリカ人のコミュニティーにしてみればある種の予期があったんだ。不当に罪に問われて不当に警察に殺されたオスカー・グラントというアフリカ系アメリカ人を代弁する役をするわけで、意見を述べる立場になることでどういう反応が来るかは予期してた」

 二人で過ごす間にジョーダンが話した多くのことに基づけば、彼がこの"白人俳優用の役だけ"ルールが一般規則になることを期待していないのは明らかだ。実を言うと我々が会う一週間前に、ジョーダンはアフリカ系アメリカ人の弁護士ブライアン・スティーブンソンによる冤罪や不当な理由で投獄される人々のための闘争を描いた回顧録『Just Mercy』の脚色作品へ出演する予定だと発表した。より正確な表現をするなら、彼は彼がキャリアのモデルとしている白人俳優たちと同じだけの幅広い機会を望んでいるということなのだろう。彼が最も頻繁に引き合いに出した二人はレオナルド・ディカプリオライアン・ゴズリングだった。「彼らは賢い選択をしたよね」と彼は言う。「彼らは人間を演じた。『人物を演じる白人俳優』じゃなく、人物を演じる彼ら、という立ち位置にいる。俺が人物や職業を演じる時の役柄は『黒人〇〇』なんだよ。俺が黒人なのはわかりきってるけど、なんでそんなレッテルを貼られないといけないんだ?」よりよい道筋を確約される方法は、彼が言うには、想定の段階で候補に入っていることだ。「"黒人男性"として書かれた役をやる代わりに"男性"として書かれた役をやりたい」

 十代俳優としてのマイケル・B・ジョーダンの初期を要約すると、彼は21世紀のTV復興期における最高傑作ドラマのうちの2つで魅惑的な役にありついた。『ザ・ワイヤー』第1シーズンでの若いプロジェクト*2の子供、ウォレスと、『Friday Night Lights』最後の2シーズンを通してストーリーが進行する葛藤を抱えたクォーターバック、ヴィンス・ハワード。彼も自身のキャリアを同じように語る。「俺は恵まれてるんだよ。これまでの仕事を自分の功績にはできない」

 『ザ・ワイヤー』に関しては、彼は元々また別のプロジェクトのドラッグの売人であるボディー役のオーディションを受けたものの若すぎると言われたという。「その後ウォレス役として呼び戻されたんだ」と彼は言う。今は名高い『ザ・ワイヤー』だが、HBOが初めて放送した当時このドラマの良さに――あるいはジョーダンの小さいながら重要な役柄の存在に――気付いた人間は比較的少なかったというのは忘れがちだ。「あの頃は単なるドラマの一つだった」と彼は回想する。しかし視聴者が徐々に増えるに従い、ジョーダンは自分がとても特別なドラマに参加しているだけでなく彼のキャラクターがとりわけ象徴的であることを知った。たとえばオスカー・グラントの遺族は顔を合わせてから数日の間咄嗟に彼をウォレスと呼んだという。「あのおかげで打ち解けたね」と彼は振り返る。

 『Friday Night Lights』では、まだティーンエイジャーを演じていたとはいえ7年が経ち22歳で、ジョーダンが俳優として大人になったことを見てとれるのがこのドラマだった。「敬意を払ってもらうきっかけになった」と彼は言う。「ストーリーラインを担える証明になったんだ。キャラクター作りの仕方を教えてくれた作品だよ。なにかを受賞したりノミネートされることはなかったけど、業界の重要人物みんながあのドラマを好きだからオーディションに行くと影響がものすごかった。俺にとってターニングポイントのドラマだった」と彼は言う。

 要約するとこうなる。とはいえ本当のことを言うと、『ザ・ワイヤー』『Friday Night Lights』は彼の初期のキャリアのクライマックスだ。実際の彼のオリジンストーリーはもっと厄介で、もっと奇妙でうまくいかない瞬間というのがたくさんあった。

 彼の最初の重要な分岐点は『ザ・ワイヤー』の前、12歳の頃で、ビル・コスビーの厚意によりコスビーの相手役の規律を乱す生徒にキャスティングされた。結果としてコスビーの評判は厳しかったとはいえ、ジョーダンの方はいくらかいい評価を得た。「初めて俳優として意欲が湧いたのはビル・コスビーが動作の指示をくれたとき。『きみは自分の髪が大事で愛してるんだ。撮っている間中ブラッシングをして手を止めないでほしい。喋っていないときでも髪を梳かしてるんだ。いいか?』と言われた。それが考えるきっかけをくれた。これからじっくり考えるべきことをね。『なるほど、うまくいったな、彼はこれがわかってて話してたんだな』って」

 彼の初めての重要な映画の役――同じく『ザ・ワイヤー』出演前――は、キアヌ・リーブスがインナーシティの野球チームを救う映画『陽だまりのグラウンド』でのものだった。当時ジョーダンはまばらに俳優やモデルの仕事をしていたが、専念する気はなかった。「あの頃は演技が自分のしたい事だなんて意識もなかった。『学校を早退できてニューヨークの撮影現場で仕事してクラフトサービスでスキットルズとかキャンディとか色々食えるなんて最高だな』って感じだった。まだ子供だったんだよ」

 同じようにして『ザ・ワイヤー』の直後に彼が受けた仕事は『Friday Night Lights』とは似ても似つかなかった――昼のメロドラマ『オール・マイ・チルドレン』だ。彼は3年間このドラマに出演し、52のエピソードに登場した。「先を見据えた一手だとわかってた」と彼は言う。「『オール・マイ・チルドレン』みたいなドラマに携わるのは――どんなドラマかはみんなわかってるけど、でもああいうドラマで成長もできるんだよ。完璧な環境だった。学習して、俳優として成長して、プロフェッショナルの人達と仕事をして、給料をもらった」同時に彼は今後二度と演じたくない役柄だということもわかっていた。「昼ドラの、両親がいないクソ典型的な黒人役だぜ。ステレオタイプなのはわかってたし、『こういうのは演じたくない役だ』と思ったよ」

 その実現にはしばらくかかった。続く数年間、彼は犯罪ドラマを網羅する勢いでゲスト出演したが――『CSI:科学捜査班』、『FBI失踪者を追え』、『コールドケース』、『バーン・ノーティス』、『LAW & ORDER:犯罪心理捜査班』、『ライ・トゥ・ミー』――問題を抱え悪事を働こうとする黒人青年役にキャスティングされることばかりで、彼よりずっと賢く、かつ大抵はずっと肌の白い人物が42分間その問題の解決に取り組むことになった。

 先週、ジョーダンは初めての家を買った。ティーンエイジャーの頃にロサンゼルスに初めて来た当時数か月独りだったことを除けば初めての一人暮らしということになる。最近では『恋人まで1%』のプロデューサーの一人であるジャスティン・ナッピとウェストハリウッドでルームシェアしていた。「いつまでもルームメイトとは住めないからさ」と彼は言う。「28歳だ。一皮剥ける時だよ」

 計画通りに運べば『クリード』で彼の注目度はさらに増すことになる――彼はその野心にもかかわらず注目を浴びることはとても不快だと断言する。「嫌いだね」と彼は言う。「俺はひっそりしたタイプだし独りが好きだ。注目されるのは好きじゃない。かなり注目されるようになってきたけど。俺はものすごく物静かなんだよ」彼は前に言ったことを繰り返した。「余計なクソは余計なクソだ」。それから彼は自発的に"余計なクソ"とみなしているものについて説明してくれた。「女性問題」と彼は言った。「どこに行っても撮られるんだ。マジな話だぜ。オーマイゴッド。今更女性関係かよ? 大したことしてないのに。変な感じなんだ、俺は同じ男なんだから。俺はなんにも変わっちゃいない、だろ? 外見だって変わってないしなんにも違うことはしてない」彼は一旦言葉を切り、言い直した。「オーケー、大作映画には出たけどね」

 それは大違いだと思うよ。

「クレイジーだろ?」

 女の子達、あるいは女性達は、今あなたの人生にどんな形でフィットしてるの?

「んー、雑念は捨ててるんだよね。若い頃、なんとなくこの流れを察した時に、二十代のすべてを仕事に捧げることになるって自分に言い聞かせたんだ。今28歳だからあと1年半だな」

 それをやり通した?

「うん」

 それじゃ、今まで一度も真剣な……?

 彼は私の言葉を遮って答えた。「ないよ。ない」

 それは良いこと?

「その答えはわからない。女性は良いことだとは言わないだろうけど、俺としては後悔なんかできないし、家族の平穏のために自分の持てる全てを使ったんだってことを知る必要があるんだ。最終的に俺にとって大事なのは家族だけなんだよ。なんにも持ってないところから始めて家族が支えてくれたんだ。家族が俺が気にかける全てなんだよ。それ以外にかまけてなんていられなかった。母、父、姉妹、兄弟――みんなが平気なら俺も平気だし、みんなに問題があれば俺も問題がある。自分の全部を注ぎ込んだから、家族に問題がなくなったら自分に目を向けられるんだ。30代半ばになれば人生を楽しめるよ。俺はそれで納得してる。それでいいんだ」

 あなたは孤独?

「そうじゃない。女性の望みだったり必要としてるものはわかってる。そういうのは得意なんだ。自分が今現在それを与えられる立場かどうかはわからない。感情的に手一杯なんだ。どうしようもなく受け入れざるをえないものに出会うまではね。それ以外にも母さんに問題がないようにしてないといけない。正直それが俺が気にかけてるすべてだよ。女性は出たり入ったりだ」

 自分はこれまで恋をしたことがあると思う?

 彼はちょっとの間考えた。「たぶん一時的に夢中になったことはある」

 それはつまりノーってことだよね。

 彼はうなずく。「ノーってことだね」

 だからといって一時的な気晴らしもなしという訳ではない。
 我々が会う一週間前に彼はカプリでのバケーションの写真を投稿していた。彼は携帯にある写真をもっと見せてくれた。ボート上の生活、煌めく青い海、彼がグーニーズを思い出すという穴のあいた沖合の岩。写真に写っているのは彼だけではなかった。ミラノ出身の女の子だと彼は明かした。「ただの友達」と彼は言う。「お互いを知り合ってるところ」

 ジョーダンは最近、ニューヨークでのメットガラのアフターパーティーをケンダル・ジェンナーと同時に離れるところを写真に撮られた。二人は付き合っているのではと勘ぐる記事が短い間波紋を広げたが、単に同時にパーティーを離れた二人がたまたま一緒に写りこんだだけという"関係者"の主張により立ち消えた。それにもかかわらずネットでは軽く騒動が巻き起こり、ジョーダンのファンを自称する人々はほぼ例外なくその噂に反感を抱いている。

「俺たちが住んでるのはそういう世界さ」とジョーダンは言う。「白か黒かで見るんだよ。俺はそうは見ない。ケンダルは友達だ。彼女の事を深く知ってる訳じゃないけど知ってはいる。みんな口うるさいんだよな、なんか知らないけど。俺は他人を幸せにするために生きてる訳じゃない。でもすごく変だよ、だろ? 大勢の黒人のファンが『えーっ、彼は黒人と付き合うべきなのに』って反応したんだ。気持ちはわかるけどさ、とはいえまあ落ち着けよって。今は2015年だぜ。いいんだよ! 人を好きになるのに同じ歴史とか文化とかなんかを持ってる必要なんかないんだよ。もう新しい世界なんだからさ」

 ジョーダンがテレビを卒業し、映画の中でより重要な役柄を演じるようになると、思わしくない要素がすべての役柄に共通した。彼の演じるキャラクターは常に最後には死ぬのだ。2007年から2013年の間の主要な主演作は『ブラックアウト』『レッドテイルズ』『クロニクル』『フルートベール駅で』。彼はどの作品でも生き残れなかった。『恋人まで1%』のプロモインタビューで彼はこの役を受けた理由をよく"これ以上自分がスクリーンの中で死ぬのを母親に見せたくないから"と説明した。彼はそれをジョークにしつつも悩まされていた。「ほら、黒人男性はいっつも映画の中で死ぬっていうお決まりのやつだよ。有り難くもない。友達に何度もからかわれたよ、『映画の中で死ぬのやめろよな』って。ホラー映画の定番のジョークみたいなもんだよ――黒人の男キャラがいたらそいつが真っ先に死ぬってね」

 それによってまた別の境界線が引かれることになった。「フルートベールの後、(エージェントに)『もう死なないぞ――今後は死なない』って伝えたんだ」と彼は言う。「『観客にいつも俺が死ぬことに慣れて欲しくない』って」
 遅かれ早かれそのルールは破らなければならなくなると彼はよくよく理解している。
「もちろん。でも俺が勝ってトップに立つ映画の流れを確立しなきゃいけなかったんだ。クリードでは死なないぜ。言ってやるよ――ネタバレ注意! アドニスは死なないからな。その後はまあ、そのうちね*3……いつかサム・クックを演じたいんだ」

 我々が席についている間にジョーダンはテキーラとキュウリのカクテルを三杯飲んだ。ものすごく強い酒だったのかわからないが、彼が酔っていることに私が気付くのにはしばらくかかった。彼の答えの中には混乱させられるものがあり、私は我々の会話を聞き返した時に初めて、彼が質問とは全く違う答えを返したりそれまでの話題とまるで違う内容に移っていたことに気付いた。それに彼の発言はだんだん大胆になり、時にやや好戦的な鋭さを帯びていた。

「俺はなにも追い求めてない」と彼は私に言った。「金を追い求めてもいないし名声を追い求めてもいない。自分の場所で、自分にとって大事なこと、人にとって大事だろうと感じることをやってる。正直なところそういうことなんだよ。俺は観客が心に留めてくれるような役をやりたい。有名人だから近づきになりたいとか、ああテレビで見たよなんて声をかけられたくないんだ。同じ経験をした従兄弟がいるよとか、自分も同じ経験をしたんだとか、あの気持ちわかるよって人から言われるような役をやりたい。その方が意味がある」

 彼は映画公開前の最終プロモツアーのために『ファンタスティック・フォー』のキャストと共に街にいた。私がこの映画についての雑多なネット上の噂に触れ、多少彼の気に障るのではとそれとなく窺うと、こう返って来た。「少し? 超クソ気に障るよ。クソうっとうしいね」。彼はそれ以上多くは語らなかった。「この映画がどう転ぶかはわからない」と彼は言う。「まだ観てないけどいい出来であることを願うよ」。彼はまた、このような大作では「映画制作に携わってる人間が大勢いて最初にやろうとしたことと最終的にやってることが違うこともある」と認めた。だがおそらくそれはちょっとした兆候で――『ファンタスティック・フォー』の行く末の不安についてや、食事の終盤に会話が鈍くなったこともそうかもしれない――私が翌日この映画についての話を出せば彼は少し不安げに「昨夜どれだけ喋ったっけ?」と尋ねただろう(その後一日を終えて我々が別れた後に彼は私に電話をかけてきて、自分が映画についてひどいことを言っていなかったかを確認した。幸か不幸か、言っていなかった)。

 私が『クリード』について尋ねたのもこの頃で、彼は身体づくりについて語り始めた。明日になったら素面での話を聞かせてくれるだろう。しかし今週は別のボクシング映画である『サウスポー』が公開されたばかりで――我々のどちらもこの時までそれに言及していなかった――そしてやや現実感のないことに、今夜ジョーダンはディナーテーブル越しに私に顔を向けてこう言った。「肉体的に……ファック・ジェイク、ファック・ギレンホール、なにもかもファックだ……俺たちは彼に迫りたいと思ってるし、彼よりよく映りたいと思ってるよ……俺は負けず嫌いだからさ、誰よりも必死に仕事してやるからなって頭の中で思ってた。クソくらえだ」

 数分後、彼は姿勢を正した。「だめだ……なんていうか……マジで酔ってるな」と彼は言った。

 我々は翌日のランチタイムに会って、彼の幼少期の世界を垣間見るためにニューオークに向かう事になっていた。それについて彼は完璧にはっきりした意識で話しているようだった。これ見よがしにでなくあくまで紳士的に、この旅に出掛けるのならばなにを見ることになるか予め把握しておくことがベストだとほのめかしていた。

 「実家はさ、クソ貧困街にあるんだ」と彼は説明した。

2.ニュージャージーでの1日

 前夜の終盤にどれくらい、またはどれだけ妙な風に勢いを失っていったかを彼が覚えていたかどうかわからないが、翌日会った時その話は出なかった。彼は黒と青のオックスフォードシャツに薄い黒のネクタイを締めたきちんとした装いで、今朝すでにSport Mattersというチャリティのイベントの共同ホストを務めた後だった。「ニューオークを見たいって思ってるかなあ、って考えてた」と彼は私に言った。「ニューオークには何もないからさ」と笑う。「荒れたところだよ」

 ハイヤーが街を離れニューオークへと我々を送り届ける道中、彼は両親の話をしてくれた。両親それぞれのどこに似ているかと彼に尋ねてみた。「母さんは思いやり深くて献身的で無欲なんだ」と彼は言う。「俺もそんな時がある。母さんは色んなことに耐えてきた――俺は母さんの強さには遠く及ばないけど、力を受け継いでると思う。色んなことを潜り抜けてきたけど相手を笑顔にさせる人でそんな事を窺わせないから。俺は確実に彼女から笑顔を受け継いでる」

 父親については、「彼は思慮深い人で、黙考するタイプ。彼が喋ると人が聞き入る。それに長期的目標のために犠牲を払うということを知ってる。父さんは海軍にいたんだ――家族のためにやるべきことをした。俺もまったく同じ。父さんは感情を表に出さない。俺も以前はたくさんのことを押し隠してた。内に秘めるタイプだから俺がなにを思ってるのか他人にはわからない時もある」。
 それは弱みか強みかとジョーダンに尋ねると、この質問に彼は驚いたようだった。
「強みだと思うよ」と彼はしっかりと答えた。「俺は心を開く必要があると感じた相手には心を開いてると思う。それに日々プライバシーを失っていくこの変化を乗り越えるのにすごく役立ってきたとも思うよ。おかげでこの状況を乗り切ることができる。個人批評とか誘惑をうまく避けて通ることができてる」

 今年の父の日にジョーダンは彼と父親の写真をインスタグラムに投稿し、こう書いた。「俺にハードルを設けてくれた人。あなたは三人の子供を育てるために自分の夢を保留にしてくれた。俺が逸脱しないようにぶっ飛ばしてくれただけじゃなく、つまづいて転んで成長する道を与えてくれて今の俺がある。愛してるよ親父 #FathersDay」
 私はこの投稿を踏まえて父親は非常に厳格な人だったのかと尋ね、それ以上聞かずとも彼は詳しい話を聞かせてくれた。
「そうだね」と彼は言った。「うん、厳しく育てられたよ。俺たちのことを思ってさ。ぶたれたか? イエス、俺はそれに値することをしたから。必要なことだったんだ。自分の子供を折檻できないなんて想像できないよ。最近はみんなが『これを言ってはだめ……子供には触れない……保育サービスを……』って感じだよね。もちろん暴力的であることと子供に罰を与えることは明確に別だよ。でも俺を見ろよ、ちゃんと育ったぜ」と彼は笑う。「今でもどこかクレイジーだけど……人とはずれてるかもしれないけど、どうでもいい。俺はいたずらっ子でさ、わるさするのに夢中だったんだ」

 話している間に、我々は大量に停められた車を尻目にニュージャージーの78号線の高い位置にある直線コースへ上がって行った。
「こうやって車を眺めてるのって変な気分」と彼は言う。「ジャージーは世界の車泥棒の首都って感じなんだ。すごく長いことニューオークは盗車とかで評判だったんだぜ」。彼は「一回も車を盗んだことはない」と自己弁護の言葉を口にした。
 けれどその他については……
「運転、ドリフト、レース――成長の過程でそれは大きかった」と彼は言う。「速く運転するのが大好きだし車が大好きなんだ。アベニューPが子供の頃よく行ってたスポットだったな……木曜の夜にみんなで集まってたんだ。『ワイルド・スピード』みたいな感じ。あんな感じで育ったんだ。車が百台くらいあってさ、みんながいた。工業地帯なんだ。音楽を聴いて、車をあちこちレースに出して。仮免許のために走ってるやつもいれば趣味で競争してるやつもいた。何回かクラッチを燃やしちゃって父さんに引っ掴まったよ。『アアアア、わかってる、わかってるよ、ごめんなさいごめんなさい』って」これが『オール・マイ・チルドレン』に出演していた頃だっため、両親が彼の手綱を握るのは難しかった。「大人みたいな扱いをされて、生活ががらりと変わったんだ。金を稼いでたからクラッチを燃やしたら自分で払えた」

 レースには勝っていたのかと私は彼に尋ねた。
「おう!」と彼は答えたが、その後こう付け加えた。「まあ何回も負けたけど。自分の車はレースに出さなかったよ――そこまで馬鹿じゃない。あのスリルが好きなんだ。あれで運転技術を磨いたんだよ。警官が来た時は危なかった。いつも来るからさ、いつどこに来るかを探ってた。警官が来たらみんな蜘蛛の子を散らす感じだったね。みんなバラバラに逃げて、誰かの車に飛び乗って友達と後で落ち合うんだ。大騒ぎだった。すごく楽しかった。懐かしいな」

 我々がさっき通った道、78号線のホランドトンネルから出口までのタイムをよく計っていたと彼は言う。
「俺の記録は11分」と彼は言う。「11分だ」。私は訝しげに彼を見た。「わかるよ」と彼は言った。
 最高速度はいくつだったのか尋ねてみた。
「127くらいかな。130。たぶん127だ。BMW300Ciを持ってたんだ」彼は普段その直線コースに警官がいないことを知っていたのだと説明した。「いや、言ってみただけ」と彼は言い足す。私が思うに、つまり若気の至りを弁解するつもりはないらしい。「いや、根拠の話をしてるんだ。子供なりに当然危険なことだって思ってたよ。でもやってたときは……スピードを出してるときは承知の上で危険を冒してるんだ」

 我々は彼の実家へと向かっていた。母親が家にいるはずだという。「ご飯を作ったかな」と彼は呟く。先に電話をすることにした。「人前に出られる格好?」と彼女に尋ねる。結局彼女はメイシーズにいるらしかったがすぐ戻るという。

 我々が車から降りたとき彼女はまだ着いていなかった。ジョーダンは祖母が姉妹と同居していた隣家や近所の叔母の家を紹介してくれた。ご近所さんとスラップボクシングをしていて駐車中の車の後部に突っ込んで歯が欠けたというドライブウェイを見せてくれた。それに小さな前庭の隅にある、行儀の悪いことをしたとき祖母がそれで彼を叩いたというしなやかな小枝を持つ低木も。「子供の頃放火癖があって」とジョーダンは言う。「プラスチックのシャワーカーテンとか、トイレに座ってて退屈になってさ、よく香を使って穴をあけてたもんだよ。馬鹿だったな。『バカリ!』って、『外に行ってそこの枝を取ってきなさい、葉っぱを落とすんだよ』って言われてさ、最高に軟弱な見た目のしなびたやつを持って帰ってきては『ダメ、戻って違うやつを取ってきなさい』って」

 彼は以前住んでいた屋根裏部屋を示した。「めちゃくちゃ暑かったよ、どうかしてるくらい暑かった」と彼は言う。それでも彼の部屋だった。「俺の小さな聖域って感じだったね」。あそこでよく何をしていたのかと私は尋ねた。「ゲームしたり…勉強したり…フリースタイル」と彼は言って笑った。「自分のことをラッパーだと思ってた。よく詩を書いてたから――それがある意味ラップに繋がったんだ」
 私は何についての詩だったのか尋ねた。
「色んなことを少しずつ」と彼は言う。「女の子たちに手紙を書いたのが始まりだと思う。手紙を書くのが好きでね。手紙が詩に変わったんだ」
 功を奏したのだろうか?
「うん」彼はにやりとした。「まあね、そうだよ。だめな時もあったけど大概うまくいった」

 ニューオークまでの道程で彼が話したストーリー――例えば『ワイルド・スピード』的な車遊び――が若干気取って聞こえたとしても、幼少期の世界に戻ってきた今、彼の口調はまるで違うものになっていた。敬意と尊敬を要する場所であるかのように彼は話をした。今でもここは彼の心に触れ萎縮させる力を持っているのかもしれない。彼の言葉――多彩でタフだったかつての暮らしを大仰に語っているようにも聞こえる――の大部分は実際、今私がどこにいて何を見ているのか、あるいは同様になにを見落としてるのかについて、私のようなよそ者に対して礼儀正しく慎重な口調で正確に説明していた。

「ここは暮らしたり育つには危険な土地だ」と彼は説明する。「イカれた街だ。このストリートでは保護者がいたけどね。このブロックにはずっと俺を知ってる人達、家族が大勢いたから。こっちのブロックとかあっちのブロックはどうかな。俺は貧乏な育ちだったからさ、わかるだろ? 喧嘩したり、普通の子供が通る道は一通り通ったよ。銃で脅されて強盗にあったり、そういうこと。だけどこのストリートは安全な天国みたいだった」けれども、「ずっとストリートで暮らす訳にはいかない。このブロックに留まることはできないんだ」。家からほんの数フィート離れたよその土地では明らかに物事はより困難だった。「常に最良の判断をしようとしてた」とジョーダンは言う。「俺の最良の判断が最良じゃなかったこともあるけどね。羽目を外しすぎないように気を配ってくれる人が大勢いたよ……根は良い子供だったんだ。母さんと父さんが三人の賢い子を育てたから、俺たちは頑張って親に誇りに思ってもらおうとしてた」

 しばらくして、家の外でそれ以上待つ代わりに我々は近辺のドライブに出かけ、ツアーは続いた。知らない者の目には非常に心地のいい郊外の地に見えるクリントン・プレイスのとある通りに出ると、彼は「ここは物騒だよ……まあ俺のいる辺りもそうなんだけど、ここのは俺がよく知ってる危なさなんだ。よく銃撃が起きたり殺人が起きたり」と言った。
 私は子供の頃に実際それらを認識していたのかどうか尋ねた。
「ああ」と彼は言う。「マジで死体を見たしね。犯罪現場を見たし。警察とのカーチェイスも山ほど。喧嘩もたくさん。色んなものを見たよ」
 我々はクリントン・プレイス&チャンセラー・アベニューの角にあるコートを通り過ぎる。「バスケをするには最も危険な場所の一つ」と彼は言う。「夜なんて格好の標的だよ、角にあるから。クレイジーな地域だぜ」

 ジョーダンお気に入りの地元の店でチキンサンドイッチを買い彼の家に戻ると、帰宅していた彼の母親が玄関で出迎えてくれた。彼女は家が散らかっていることを詫びた。荷造りに手をつけているところなのだ。ジョーダンの両親は間もなくロサンゼルスに引っ越す。ジョーダンの父親は実際カルフォルニア――LAのサウスセントラル――出身で、ジョーダン自身はオレンジ郡で生まれ、彼がまだ赤ん坊の頃に一家で東へと移った。

 家には彼がミス・ロジャースと呼ぶ彼の母親の友人もいた。彼女はもう普通の食事ができるのかと彼に尋ねた。クリードに向けたボクサー体型になるための食事制限のことを言っているのだ。
「するべきじゃないね」と彼はサンドイッチの包装を開けながら答えた。「今はこれを食べるべきじゃない。もうすぐダイエットを再開するところなんだ。だからこの後はなにも食べないよ」

 『クリード』は『フルートベール駅で』のライアン・クーグラー監督の案だった。『ロッキー』は彼の人生にとって特別で個人的な重要性を持つ映画だ。クーグラーは本格的なアスリートでありカレッジフットボール選手だった。「父がコーチで、小さい頃に始めたんだ。大きな試合の前には『ロッキー』シリーズ、特に『ロッキー2』を見せられたものだった」と彼は話す。「そして父はいつも違ったところで感情的になってた――親父はオークランド出身のタフガイで、映画の特定のシーンを観て涙ぐんでるのを見て僕はいつもなんだか変なのと思ってた。大きくなってから、父が涙してたのは彼の母親が臥せっていたときによく一緒に観ていたからだと知ったんだ――彼の母は彼が18歳のときに亡くなった。彼女がどん底で、寝たきりで、とても困難な薬物治療を受けていた頃、『ロッキー2』がずっとテレビで流れてたんだ」その後、クーグラーが映画学校に在学中『フルートベール駅で』制作の準備をしていたときに、その父親が病気になった。クーグラーはそれをきっかけにロッキーの登場人物に基づいた物語を考えた――ただし一世代後、かつてのヒーローが力を失った時代の物語だ。その案を元に友人と脚本を書いた。「ほとんど二次創作みたいなものだったんだよ」と彼は言う。「スタローンに会ってこのアイデアを提示する日が来るなんて思ってなかった」

 スタローンとてこのようなアイデアを求めていたわけではなかった。ましてや実績のない無名の監督からは。「このキャラクターとその旅路は『ロッキー・ザ・ファイナル』の終わりで決着がついていると思った」とスタローンは言う。「とても満足してたし、最後の一作の制作は長い道のりだったから、『よし、これで任務は完了だ』と思ってたんだ。彼がアイデアを提示すればすれほど僕は難色を示した」

 スタローンは『フルートベール駅で』公開後にそれを考え直し、クーグラーは数々の別のチャンスが舞い込んでいるにもかかわらず未だ『クリード』制作を望んでいた。「これは映画的な実験であると同時にとても興味深い社会的な実験になるだろうということに気が付いた」と現在のスタローンは言う。「キャラクターを再解釈し、おそらくはまるで違った旅路に連れて行きさえする新世代の人間に引き継がれるんだから。そして僕はその乗客になるんだ。それで『そうだな、僕が成長してバージェス・メレディスの立ち位置になるのは興味深いことだろうし、今が別の世代が輝く時だ』と言った」

 スタローンはジョーダンのことはあまり知らなかった。「僕も経験した苦難に彼が耐えられるかわからなかった。週末だったり1ヶ月半の仕事じゃない――絶え間ないトレーニングという意味ではまったくもって禁欲的な生活をおそらく10ヶ月送るような役だ。一日四食、五食、六食も食べることになる。そうやって役作りをする。専心して厳格なライフスタイルで生活してやっとファイターのように考え始めファイターのように動き始めるんだ」

「スライはマイクが演技ができる事は知ってた――出演作を観てたからね」とクーグラーは言う。「でも彼のワークエシックを懸念してた。スライはこう聞いたんだ、『シリーズに出ていた頃の俺と同じくらい彼は必死にやれるか?』と。マイクと会えばすべての質問に答えが出ると彼に保証したよ。彼らが会った初日の映像を今でも持っているけど、本当に本当に素晴らしい化学反応を起こしてたね」

 今になって彼らが互いに初めて会った時の所見を聞くのはためになるかもしれない。
 スタローンはジョーダンについてこう話す。「第一印象はとても深くて複雑な性格だということだった。だけど表面上は話しやすく気さくで共感できる人物で、それはとてもとても稀な要素だし、演技教室で身につけられるようなものじゃない」
 ジョーダンはスタローンについてこう話す。「どんな対面になるのかわからなかったけど、会ってみたら彼はクソほど頭のいい人だって気付いたんだ。彼はイカすよ」

 ジョーダンと私はリビングの巨大な古いテレビの横の折り畳みテーブルに座ってテイクアウトを食べた。「彼を馴染みの店に連れて行ったんだ」と彼は母親と彼女の友人に説明した。普通の人には食べきれない大きさのチキンサンドイッチにはフレンチフライが混ぜ合わせられていた。「話してなかったな」と彼は言う。「ジャージーではこうするんだよ」

 食べながら彼は母親と彼女の友人にファンタスティック・フォーのプロモにまつわる旅の話をした。
「私達はあなたを誇りに思うよ」とミス・ロジャースは言う。「本当に誇りに思う。真っ当でいてね」
「そうしてる」と彼は答えた。「正しい生活をしてるよ」。そして彼は注目を浴びたことで変わった物事について車の中で話していたんだと説明した。「どこからともなく人が現れて急に違う扱いをされてるみたい」と彼は言う。「ネガティブな意味じゃないけど、ただ……こういうものなんだなって」彼の母親も自分の体験を語った――長い間連絡をとっていなかった知人たちからのごく普通のフレンドリーな近況報告の電話だ。相手が「ああ、ところで……」と始めるまでは。「なんやかやと頼まれるの」と彼女は言う。「写真にしろプレミアのチケットにしろなんにしろ。予想外なときもある」彼に地元のホームカミングの総合司会を務めてもらいたいという直近の要望はスルーしたという。

 間もなく彼は別れを告げ街に戻ることになった。

 出身地への帰郷ほど興味深い旅はない。自分がどんな人間だったのかを思い出させられると同時に、変わった自分の姿にも直面させられるからだ。ニューオークに戻り、それについて聞かれることは、明らかにジョーダンにたくさんの考えを投げかけた――子供時代の良い面と嫌な面、通った道と通らなかった道、それにおそらくその二つを区切る線が時にどれだけ細く不安定かということ――街へ戻る道中、彼の口調は思慮深いものだった。
「たくさんの記憶がある」と彼は言う。「懐かしいものがたくさん。だから悲しくはないよ。思い出に囲まれてノスタルジックな気持ちになるだけ。俺はこの場所で育って、これが俺を形作って、これが俺の住んでた場所で、これが俺の家、これが俺なんだ、って。ちょっとだけ罪悪感も覚える――両親は今もここに住んでて俺はLAに住んでて、彼らは俺がいてほしいと思うところにまだいないんだ。自分はその地域を離れるのに母さんと父さんはまだそこにいるっていう罪悪感がある。それも今だけだけどね。家を見ただろ――荷造りして引っ越すところなんだ。だから二人がもうすぐここを出るのはわかってるけど、今現在はそんな気持ちだね。母さんを残して行くのはいつも変な気分だよ――いつも悲しみを覚える」
 そして、達成と逃げと感情移入に伴うもっと一般的で複雑な感情もある。
「ここを抜け出して世界の色んなものを見て色んな違うものを知った後で始めの場所に戻って来て」と彼は言う。「誰もがそういう視点を持てればいいのにって思うときがあるよ。すごく色々な感情なんだ」

 このすべてが彼の身に起こらずじまいだった可能性とて高いことを彼は知っている。彼が俳優業を始めたきっかけは偶然の出来事だった。母親の医者の受付が――彼女は狼瘡を患っている――幼いマイケルを見てモデルをやるべきだと口にしたのだ。それまで考えたこともなかった。野心があったとしたらそれはバスケットボールに対してだった。当時この新しい考えについてどう思ったのかと彼に尋ねてみた。「『あっそ……オッケー……いいね』」と彼は答えた。「なんとも思ってなかった。11歳とか12歳の子供が先のことなんて大して考えないよ。どうでもよかった。展望なんて持ってなかったよ」
 その年頃で業界にとても入りたがっている子供たちもいると私は彼に伝えた。
「そうだね」と彼は答える。「でも俺は違った。俺の望みじゃなかった。俳優業は俺にとっては遠い存在だったんだ。気にしちゃいなかった。俺の守備範囲外だったんだよ」今日に至るまで彼は演技を習ったことがない。「そういう環境じゃなかったっていうかさ。俺はリアルでいたいんだ。可能だと思える限りリアルでいたい。11歳の頃から演技をしてて、徐々にそうなってきた感じ」

 今夏のファンタスティック・フォーの新バージョンは当然ながらお手本のような大失敗に終わることだろう。失望の感想から獰猛な否定意見まで及ぶレビューが飛び交ったのち、公開週末の前にジョシュ・トランク監督は現在の映画は事実上自分のバージョンではないとツイートした。続く興行収入は悲観的な予測さえも大幅に下回り、今作の製作がいかにずさんで葛藤を抱えていたかという複数の噂が漏れ聞こえ始めた。直接ジョーダンに関わりのあるものはほとんどない。彼の今作での演技は不思議とその外側に存在する。まるで彼が自由に喋ることを許された数少ないシーンは、この映画には受け入れる余地がないという態度でなされたもっと大きく鋭い演技から抜粋された無作為な断片であるかのように。
 彼が願うような国際興行収入は望めないにしろ、ファンタスティック・フォーは彼のキャリアをさして傷つけることはないのではないかと私は思う――悲しいかつ驚きの理由ではあるが、彼の映画出演歴の中で初めて、彼がこの作品に出演していた事実すらほぼ記憶に残らないのだ。

 クリードのトレイラーを見るに、その問題が繰り返されることがないのは明らかだ。それにマイケル・B・ジョーダンが近いうちに同じ過ちを許すとは考え難い。

 彼の父親はマイケル・ジョーダンと呼ばれていて、長男も同じ名を持つべきだというのは彼の父親にとっては明白だった。1987年のことで、父親は同じ名前の別人が人気者になりつつあることを認識していた。「でも気にしなかったんだ」と息子は話す。別の"ジョーダン"が初めて優勝する四年前だった――「まだ伝説でも象徴でもなかった」とマイケル・Bは指摘する――だから彼の父親は、先に何が待ち受けているか、その名がどれだけの重荷になるかを知る由もなかった。マイケル・Bの母親の方は、ニュージャージの地方新聞で当時17歳の息子が将来有望な俳優として紹介された際、名前についての考えを尋ねられた。彼女の返答?「89時間の産みの苦しみの後で、夫に『あなたがなんて名前をつけるかなんてどうでもいい』って言ったの」。
 ジョーダンは若い頃に自分の名前が重荷を伴うことに気が付いた。「それで競争心が強くなったんだ」と彼は言う。「俺はバスケをして育ったんだけど、よく名前についてからかわれたりジョークを言われた。俺がコートに出れば静かになったけどね。名前は確実に俺を後押しする要素だった」
 初めてもらった役では彼はシンプルに『マイケル・ジョーダン』としてクレジットされたが、のちに映画俳優組合にこの名前は使用済みだと指摘された(彼は"誤って『スペース・ジャム』の出演料4万5000ドルの小切手が送られてきた"という噂は真実ではないと話したが、同名の相手にいくはずの納税申告用紙は送られてきたことがあるという)。違う名前が必要だった。「大きな池の小さな魚って訳だ」と彼は言う。「MJがその闘いに勝ったんだよ」
 当初はミドルネームのバカリを苗字にしてマイケル・バカリと名乗ることを考えていた。「家族にはバカリって呼ばれてるんだ」と彼は口にする。「誰も俺をマイケルとは呼ばない。俺のことをよく知ってる人は――ちゃんと知ってる人は――マイケルとは呼ばない。母さんも俺を叱るときすら『バカリ!』だからね。俺のスピリチュアル・ネームなんだ――スワヒリ語で前途洋々って意味。だからこそ名前はすごく強力なんだよ。"バカリ"は生まれてからずっと、俺が大事に思って尊敬してる人達から告げられ続けてる言葉なんだ」だが最後にはバカリの名は仄めかすだけで充分だろうと判断した。こうして彼はマイケル・B・ジョーダンになった。

「ずっと自分の名前が好きじゃなかった」と彼は言う。「変えたいって思ってたよ。でも名前が俺に挑戦を与えてくれたんだ――自分の目的を持つぞって思わせる健全な怒りを。人が俺の名前を聞いたとき連想するのが俺であってほしい。他のやつじゃなくね」

*1:映画で主に描かれているのは大晦日ですがオスカーが撃たれたのは1月1日未明

*2:低所得者用の公共団地

*3:クリード』の次に出演した『ブラックパンサー』ではまたも死亡