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【Poughkeepsie Journal】ジョー・マッゼロ インタビュー

ジョーさんの地元、ニューヨーク州ダッチェス郡の群都ポキプシーのローカル紙のインタビューです。(2019年1月)


ジョー・マッゼロは少し前、なんとはなしにマネジャーと共にロンドンにいた。
ダッチェス郡生まれの彼は、2010年のHBOミニシリーズ『ザ・パシフィック』に出演したラミ・マレックが、英ロックバンド・Queenにまつわる映画において今は亡きロックシンガー、フレディ・マーキュリーを演じることを知った。
押しの強いときがある彼のマネジャーからその映画のプロデューサーらと会うことを提案され、「映画に出してくださいって言いなよ」と言われたとマッゼロは振り返る。
マッゼロはマネジャーにどうかしていると返したが、最終的にはミーティングに参加することになった。まったく計画通りにはいかなかった。
「『ギターは弾ける?』と聞かれて」とハイドパーク育ちのマッゼロはJournalに語った。「『Queenほどには弾けません』と答えたら、彼らは、オーケー、下がってなさい、出番はないよ、という顔で僕を見た。僕が映画に加われる見込みはなかった」
ボヘミアン・ラプソディ』での役を得ることなく彼は帰宅した。しかしその会合が後の奇妙な偶然の発見をもたらした。
マッゼロはQueenのベースプレイヤー、ジョン・ディーコンに似ていたのだ。それで役が彼に回ってきた。
「ジョン・ディーコンをググってみた」と彼は言う。「僕は彼に似てて、彼がやるような顔つきをすると特に似てた。そこから始まったんだ」
そこから、ダッチェス群出身の彼は、史上最高の興行収益を記録することになるミュージカル伝記映画の主要な役にキャスティングされた。
木曜の時点で全世界で4億3千万ドル近くを稼いでいることに加え、『ボヘミアン・ラプソディ』は今月初めにゴールデングローブの作品賞(ドラマ部門)を受賞した。アカデミー賞のノミネーションが発表になる火曜には更なる栄誉がもたらされる可能性もある。同じく火曜にはストリーミングサービスでのリリースもされる。
5歳から演技の仕事を始めて現在35歳のマッゼロは、1993年の『ジュラシック・パーク』を含む数々の注目作に出演してきた。アワー・レディー・オブ・ルーデス・ハイ・スクールの卒業生である彼は、『ソーシャル・ネットワーク』『G.I.ジョー バック2リベンジ』にも出演している。
しかし『ボヘミアン・ラプソディ』は、「特別な感じがした。始まった直後から特別だと感じた」と彼は言う。

マッゼロはまた、ハドソン・バレー出身の有名人らはどれだけ名が知られてもホームタウンとの強い絆を保っていると強調する。
「なによりもここは故郷だ」とマッゼロはこの地域について話す。「ここへ帰ってくると安らかな気持ちになる。他所より物事が穏やかで現実的で、良い意味でもうちょっと質素なんだ。人々がしっかりしてると思う。LAに行ってもそうは感じない」
彼は「素敵なことだよ。子供の頃にはその価値がわからなかった」と付け加えた。
マッゼロは年中ダッチェス郡に帰っていて、帰郷するとハイドパークのEveready Dinerで食事を楽しみ、ポキプシー町のスターバックスを利用する。そしてハイドパークの、彼の母親と亡き父親が立ち上げたダンススタジオ――9G号線にあるJG Dance――の生徒らと密接なつながりを保っている。
彼の母親、ジニーは、「彼の功績が本当に誇らしい」と話す。
「彼は色々やり遂げてきました」とハイドパークの住人である彼女は言う。「彼は普通の人で、それがなによりも一番私が誇りに思っていることなの」
もっとも、彼がディーコンに似ていなければ直近の成功はなかったかもしれない。

Queenへの加入

役はあげられないだろうと言われたミーティングの一か月後、映画のプロデューサーらに対する努力を弱めてはいなかったマネジャーから電話があった。その電話でマッゼロは彼のマネジャーの決意が功を奏したことを知った。
マッゼロは2分間のディーコンのインタビュー映像を見せられ、プロデューサーらが彼のブリティッシュ・アクセントを確認できるようにそれを再現してほしいと言われた。彼は動画を自撮りし、その後は知っての通りだ。
「気付いたら仕事が決まってた」と、今作以前にはベースギター未経験者だったマッゼロは言う。「つらいオーディションの道程というわけではなかったね」
世界的な興行収入の一部として、『ボヘミアン・ラプソディ』は木曜時点で米国で1億9900万ドルを稼いだ。そして同日夜、ゴールデングローブにて『ボヘミアン・ラプソディ』は作品賞(ドラマ部門)を、マレックは主演男優賞(ドラマ部門)を受賞した。
「僕らはお互いをよく知っていて、常にお互いを支え合った」と、マレックについてマッゼロは話す。「『ザ・パシフィック』では僕が主役で、彼がサポートしてくれた。今作はナイスな役割逆転という感じだったよ」

バンド仲間たち

『ザ・パシフィック』と『ボヘミアン・ラプソディ』の間の年月において、マッゼロはマレックと頻繁に顔を合わせることはなかった。
しかしQueenを描くこの映画が「僕たちを以前のように近しい関係に戻してくれた」という。
マーキュリーを演じた俳優との共演はどのようなものだったのだろう?
「彼は一日中フレディのアクセントを続けてた」とマッゼロは言う。「テイクごとに入ったり抜けたりする僕のやり方とは違った。一日中あのアクセントで喋ってたよ。キャラクターから抜けないんじゃなくてあのアクセントから抜けずにいた。完璧にできるように細心の注意を払ってたんだ。その日の撮影が終わると彼はリラックスして一緒に楽しむこともできたけど、日中はとても専心してた」
Queenのギタリストであるブライアン・メイを演じたグウィリム・リーと、ドラマーのロジャー・テイラー役のベン・ハーディとはどうかといえば、「すぐに仲良くなった」とマッゼロは話す。
映画がマレックとマーキュリーを中心に展開するにつれ、マッゼロ、リー、ハーディは演技の中で独自の化学反応を発揮した。
「すべてのシーンでアドリブをする自由が与えられてたんだ」とマッゼロは言う。「よく即興でやりとりしたよ」
そのアドリブは映画に採用されていて、マッゼロによれば「僕の台詞は台本に書いてあったものよりアドリブの方が多いよ」という。
ボヘミアン・ラプソディ』という作品全般については、彼はこう話した。「この映画を作ったことで僕の人生はずっと豊かになった。加えて映画が成功したなら、それは嬉しいおまけだ。当たり前だと思ったりはしないよ」

故郷からのサポート

現在35歳の彼は、ダッチェスや、彼の両親のダンススタジオや、その生徒である子供たちと繋がり続けているという。彼自身はそのスタジオでダンスを習ったことはない。彼はそれが「人生最大の後悔」として残っていると話す。
スタジオでダンスを習うことと両親について、マッゼロはこう振り返る。「両親にはよく『どうして無理やりにでも習わせてくれなかったの? あなたたちは親で僕は馬鹿な子供だったんだよ』って言ったけど、『手に負えない子供だったんだよ。おまえがやりたがらなかったんだ』って言われたよ。正直それも道理で、僕は映画の仕事で暇がなかったんだ」
しかし彼はこう続けた。「すごく後悔してるよ。僕は自然なリズムを持っててね、ダンスを習ってたらたぶん上手だっただろうってわかってるんだ。父はブロードウェイのダンサーだったんだよ。だけど僕は土曜の朝のアニメに気を取られてたし、生徒は女の子だらけで恥ずかしかったんだ」
それにも拘らず、彼女の息子はスタジオの生徒たちから大いに尊敬されているとジニー・マッゼロは話す。『ボヘミアン・ラプソディ』が公開されると、生徒の一団は彼女と共にハイドパークのルーズヴェルト・シネマズへ出掛けて今作を観た。
「みんなで一緒に行ったの」と、テレビやオフブロードウェイに出演した俳優・歌手・ダンサーだったジニー・マッゼロは話す。「彼女たちはとても楽しんでた。音楽が気に入ってた。流れた曲を知っててね。みんなが私と同じくらい楽しんでくれてとても嬉しかった」
ジニー・マッゼロは先立って映画を観ていた――2018年10月にイングランドのSSEアリーナ・ウェンブリーで開催されたワールドプレミアでのことだ。
「ジョーがロンドンに連れて行ってくれて……」と彼女は話す。「大きなイベントだった。レッドカーペットが巨大でね。素晴らしかった」
ジニー・マッゼロは映画の出演者たちと対面し、そしてQueenのギタリスト、ブライアン・メイと、ドラマーのロジャー・テイラーと会った。
では、『ボヘミアン・ラプソディ』とその成功に続く彼の映画キャリアについて、ジョー・マッゼロはどう捉えているのだろう?
「素晴らしい気分だよ」と彼は言う。「ずっとこんな風に仕事がしたかったんだ。僕のキャリアには浮き沈みがあった。名前が売れているときもあればそうじゃないときもある。そういうものさ。また一つ実績ができて嬉しいよ。実績は次の仕事をもらうための役に立つから」

雑学

俳優ジョー・マッゼロは才能ある一家の出身だ。両親は三人の子供たち、メアリー、ジョー、ジョンの全員のためにショービジネスの仕事をマネジメントした。彼らは合計でテレビCM45本以上、長編映画20本以上、テレビ番組10本以上に出演し、ブロードウェイに参加した。

ライヴエイド

1985年にイギリスで開催されたライヴエイドでのQueenの大成功のパフォーマンスは『ボヘミアン・ラプソディ』で大役を果たしている。
あの象徴的なシーンの撮影は「僕のそれまでの経験とは比較にならなかった」とジョー・マッゼロは言う。
実際のライヴエイドのコンサートでバンドメンバーたちが演奏した際のステージ上での動作の練習を含め、5週間のリハーサルが設けられた。そして、当時の観客を再現するために2000人のエキストラが控えていた。
「僕はステージに立ってエキストラみんなの前で『Radio Ga Ga』のコーラスを歌っていて」とジョー・マッゼロはかのQueenの楽曲について話す。「ふと見たらケータリングスタッフが手を止めて僕たちを観てたんだ。ドライバーたちも観にやって来てた。プロデューサーは『Radio Ga Ga』に合わせて腕を振ってた。向こうを見るとブライアン・メイロジャー・テイラーがいて、自分たちの携帯で僕らの動画を撮ったり曲に合わせて両手を上げてるんだ」
「僕はあのときの眺めを見て、この作品の一員になれるのはとても名誉なことだと思った。こんな仕事をしてこんな瞬間を過ごせるなんて僕はすごく幸運だって。感情が込み上げてきてしまって、『おいジョー、気持ちを切り替えろよ、次の動きがあるだろ』って感じだったよ」