koto-koto

備忘録や情報まとめのメモ。間違いがありましたらご指摘いただけるととてもとても有り難いです。

『なぜジェームズ・ガンは"狂人"と仕事をし続けるのか』

www.buzzfeed.com

内容が楽しかったので拙訳を置いておきます。

 

f:id:svnao:20170606115621j:plain

 ジェームズ・ガン監督が俳優マイケル・ルーカーに初めて会ったのは、ガンの監督デビュー作であり栄誉ある2006年のホラーコメディ『スリザー』のオーディションをルーカーが受けた時だった。ルーカーは当時とうにハリウッドの熟達したキャラクターアクターの一人として確立されており――1988年の『ミシシッピ・バーニング』、1990年の『デイズ・オブ・サンダー』、1993年の『クリフハンガー』等――ガンは少々畏敬の念を抱いたという。
「実は彼の作品の大ファンだったんだ、会う前からね」とガンはBuzzFeedに話した。
 ルーカーはガンの反応を若干違う風に記憶している。「彼は大仰なスタンディング・オベーションをしてくれたんだ」別のインタビューでルーカーは言った。「俺は『オーディションが終わるまで待つべきなんじゃ?』って感じだった」


 彼がその役を獲得しただけでなく、二人が親友になっただけでもなく――「週に二、三回会ってる」とガンは話した――ルーカーは『ガーディアン・オブ・ギャラクシー』での宇宙の悪党・ヨンドゥ役を含むその後のガンの全映画に出演してきた。
 この変わらぬ創造的かつ個人的な仲間意識は、始めはさして意外ではなかった。「自分が大切に思っている人たちに囲まれているのが好きなんだ」とガンは言う。「映画の制作中にいくらかの愛情が身近にあるというのは素晴らしいことで、大部分は単純にそういうことだよ」
 ルーカーは同意した。「彼は俺を好きなんだと思う」と彼は言う。「俺は彼が好きだ」
 けれどガンとルーカーを結び付けているものには別の、おそらくより不安定な要素がある。「彼は狂人だよ」とガンは言う。
 この評価に同意するかどうか尋ねてみると、ルーカーはくすくす笑った。
「全然そんな事ない」と彼は言う。「人にはそう思われるが、俺は変わった考え方をするんだよ。多くの人間はこういう見方で物事を見ない。俺は異なった解釈をする。プロジェクトに際しては明確に違うやり方で物事を見てる。俺のアイデアは人が俳優から引き出そうとする平均的なアイデアとは違ってるんだ」


 ガーディアンズからの一例がある。作中でヨンドゥが謎の球体について異星人に質問するシーンで、台本では彼は『blah blah blah』と言う予定になっていた。
「彼は何か言ってたが俺は耳を貸したくなかった」とルーカーは話した。「それで台詞を変えた。『ブラー ブルー リー グロー リー ブレラー バー、バ ブラ バ バ ビィ デ ドゥ、バ ビィ ドゥ、バラ ボール ビー ブー バー バー バー』」彼はしばらくこんな風に喋り続けた。「すごくうまくいったよ」とルーカーは続ける。「(撮影現場で)みんな笑い転げてた。それから(ジェームズが)指示を出し始めたんだ! 『ガール ゴリー ボーリー ボー!』って言い始めた。まったくクレイジーだったよ」
 ガンにとって、それは演技に反映されることの多くないルーカーの一面を披露する素晴らしい機会だった。「ルーカーはいつも感情を表に出さないキャラクターを演じてるが、もし実際の彼を知っていれば……彼はイカれてるんだ」と満面の笑みでガンは話す。「狂ったように笑うんだよ。……普段スクリーンで演じてるよりも本人はずっと個性的だ」


 友人同士にとって私生活での対等な立場から仕事上の準雇用関係にシフトするのはやりづらい可能性もあるが、ガンもルーカーもそうは捉えていない。
「本当に正直に言えば、どちらにせよ俺は偉ぶる性格なんだ」とガンは言う。「常に監督みたいに振る舞ってるからそんなに変わりはないと思うよ、特にルーカー相手では。いつもふらふらして逃げ出そうとしてる野良犬みたいなやつで、『ルーカー、戻ってこい、こっちに戻ってこい、戻ってこい』ってやらなきゃいけない。どちらにせよそれが一種の俺らの関係性だ」
 ルーカーはどう考えているのだろう? 「彼に耳は貸さない」とルーカーはいたずらっぽくニヤリとし、それから少し言い直した。「聞きはするが頭の中で変化して違う形で表に出るんだ。彼はそれが気に入ってるんだと思う」


 ガンの考えを彼の精神がいかに一から組み立て直しうるかの説明で、『スリザー』――地球外の寄生生物が、(特に)ルーカーのキャラクターを含め小さな町を汚染する映画――への取り組みの話を持ち出した。彼が直接的に密に関わった作品だ。それはルーカーが深夜にガンの家にかけた電話から始まった。ルーカーがBuzzFeedに長々と物語った内容がこうだ。
「彼に電話をかけて言ったんだ、『よう! おっと寝てたか? あー気にしないでくれ、明日かけ直す』『なんだよ!? 起こされたんだぞ、用件は!?』『いいアイデアがあるんだ!』『はあ、なんだって!?』『飼い葉桶のシーンあるだろ、スリザーの…』『飼い葉桶のシーン? 何の話だよ?』『ほら、飼い葉桶のシーンだって! 出産の!再臨のシーン! 飼い葉桶のシーンだよ!』『飼い葉桶のシーンって何なんだよ!』『ほら、納屋のシーンだよ! 納屋の中の。子宮があって少女が子宮の真ん中にいて、そこの肉をとってくれないかって聞くだろ。覚えてるか? それで子羊とかロバとか小さい家畜を映すだろ?』『ああ、全部死体だ!』『うん、でも家畜は家畜だ。あれは飼い葉桶のシーンだろ?』『なんてこったルーカー! 明日かけ直せ!』」
 ここでルーカーは狂ったような笑いとしか形容できない爆笑をした。
「俺の頭の中では、個人的な見解としては、あれはすごく不気味な飼い葉桶のシーンだったんだ」と彼は話す。「再臨のシーンだ。俺は星々から降りてきた異星のクリーチャーで新しい生命体をもたらし、命を産み出そうとしてた。そこにはヤギや子羊やヒツジやロバや牛がいて、もちろんみんな死んでたよ。でも俺は神々しい存在の地球への再来を連想したんだ」
 そして明らかにガンはそう捉えてはいなかった。
「もちろん違った!」とルーカーは言う。「だけどまあ、多くの場合脚本家は自分の作品を理解してないものだ」