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【Vogue】エディ・レッドメイン 『The Danish Girl』への変身

リリーのすべて』のインタビュー。

 その変身は肌のトーンを変え口紅とソフトピンクのチークを乗せるところから始まった。鼻はちょっとした難題だったが桃色が役立った。そばかすも同じく。第三者は厚塗りだとかだまし絵、あるいは修飾と見るかもしれない。しかしアーティストと被写体双方にとって、これは削りとっていく彫刻の作業に近い。その下にある女性的な顔つきの輪郭を表に出すために、見知った男性の顔のパーツを削ぎ落とす技術だ。
 火曜日の午後一番、ロンドンにあるエルストリー・スタジオのサウンドステージすぐそばの手狭な楽屋で、上品な白髪のボブヘアのメイクアップ・アーティスト、ジャン・シーウェルはエディ・レッドメインの顔に仕上げを施していた。レッドメインとシーウェルは数年来の近しい仕事仲間だ――彼女は今年レッドメインが初のアカデミー賞英国アカデミー賞、全米映画俳優組合賞、ゴールデングローブ賞を獲得した『博士と彼女のセオリー』において、スティーヴン・ホーキングのALSの進行というゆっくりとした段階的な変化を必要とした――そして彼女らはシーウェルが「完全省略表現(a complete shorthand)」と呼ぶものを開発した。そのウィッグは自意識過剰を意味するか? この色は微妙な表現から逸れているだろうか? 目標は現実と想像の間の肉体を作り上げ、その俳優の容姿をリリーが彼女自身でいることを知った体つきへ結びつけることだ。
 この数日前にロンドンにて、レッドメインは2009年のデヴィッド・エバーショフによる歴史小説に基づく映画『リリーのすべて』の彼のラストシーンの撮影を終えた。トム・フーパー(『レ・ミゼラブル』『英国王のスピーチ』)監督作であり、19世紀後半のデンマークにアイナー・ウェグナーとして生まれ世界初の性別適合手術を受けたリリー・エルベの実際の変化を辿る映画だ。しかしリリーの変身の推移は演技のみで伝えられるものではなく、シーウェルはライトタッチでそれを特徴づける手助けをした。「メイクを濃くすれば化粧をした男性に見えてしまうでしょう」と彼女は言う。「女性っぽい突き出た唇にするのではなく口角を削って輪郭を変えたの」
 メイクルームにて、シーウェルはボルドーのウィッグをほぐす。多くのトランスジェンダーの女性たちは初めて女性として公の場に出た際過度に女性らしさを強調する時期を過ごしたといい――「それが最初の自分自身を表現する瞬間なんだ」とレッドメインは話す――シーウェルはリリーは初めその派手なウィッグをつけただろうと決定した(のちにキャラクターが女性であることに馴染むと共にレッドメインのウィッグはより自然なものになる)。今彼はトマト・レッドの口紅もつけているが、リリーが自己を見出すと共にその色をやわらげられていくという訳だ。
「ジャン、飲み物って大丈夫? コーヒーを一杯飲んでもいい?」鏡に映る顔をじっと見ながらレッドメインは尋ねた。虚ろで空っぽに見えた。この半端な身体は彼のものではなく、彼はまだキャラクターに入っていなかった。
「唇はやり直すから大丈夫――倒れて欲しくないし」彼女は皮肉っぽく微笑み、僅かな間キャンバスを観察するように距離を取った。神経質にウィッグの先を直す。「もう少しパウダーをつければ終わり」

 

 エバーショフの小説はジェンダーと同様にアートにまつわる作品だ。アイナーとその妻ゲルダアリシア・ヴィキャンデル)は双方熟練の画家だった。彼は印象深く精密な風景画で早期に成功を手にし、肖像画家の彼女は王立美術アカデミーにて彼の下で学んだ。映画の序盤にふたりがアトリエで作業しているシーンがある。彼女は大きく生き生きしたキャンバスに、彼は小さく抑制的なキャンバスに向かっている。若い女性の肖像画の完成を急ぐグレタは女性モデルとしてポーズをとってくれるようアイナーに頼む。
”ストッキングと靴を試してみない?”
”誰にも言わないでくれ”
 この経験はアイナーにとって『風変りな美術の仕事』以上のものだった。初めはおそらく創作の手助けの気持ちで(ゲルダによるリリーの肖像画は初めて商業的に大成功した作品で、これにより2人はパリへ引っ越すことができた)、のちには自己実現(self-realization)のために、彼はたびたび女性の装いをし始める。「僕が読んだのは2人のアーティストにまつわる信じがたいほど情熱的なラブストーリーだった」とレッドメインは言い、ヴィキャンデルはこの映画を「自らを愛する事を学ぶラブストーリー」と表現する。
 フランスにおいてゲルダは流行のアール・ヌーヴォー画家として称えられる(彼女は実際に初期のVogueに作品を寄稿している)。リリーとして生きる彼女は筆を置く。映画内でリリーは青年(ベン・ウィショー演)に穢れのない想いを寄せ始め、一方ゲルダはアイナーの友人(マティアス・スーナールツ演)と親しくなっていく。リリーは女性の身体を実現しようと抗生物質なしのリスキーな造形手術(constructive surgeries)を受ける。「彼女は自分のふたつのバージョンに関する変遷について語るんだ――当時彼女はそれがどんな感覚か言い表せる言語を探さなければならなかった」とフーパーは言う。実際のリリーは最終手術が原因の合併症により40代後半で亡くなった。
 この他に2冊の名高い歴史小説の筆者であるエバーショフは、ジェンダー論の本のページを繰っていた時にリリーのストーリーと遭遇した。「待てよ、と思ったものだ――リリー・エルベはパイオニアだが、僕は彼女の話を聞いたことがなかった」と彼は述べた。「大いに勇敢で重要な事を成した女性だというのに、僕が最初に彼女の名前を目にした時、歴史は彼女のことを忘れかけていた」
 今作は11月公開というこの上ないタイミングだ。ケイトリン・ジェンナー、ラヴァーン・コックス、『タンジェリン』、『アバウト・レイ』――この映画はトランスの人生の史劇化、その文化的伝統のルーツを辿り複雑性を讃えるという長いプロジェクトに着手した。「彼女によって公民権運動にスポットライトが当てられているのは素晴らしいことだと思う」とレッドメインはジェンナーについて話した。「けれど彼女のストーリーはとても限定的で、正反対の経験をした多くのトランスの女性、特に有色人種の女性が存在する」

 

 メイクアップチェアを立ったレッドメインはリリーとして写真撮影をするためスタジオへ直行した。『リリーのすべて』の撮影過程で最もハードだったのは、女性の装いでセットへ行き、彼の外見がそれらしいか評価するライティングスタッフや電気技師の視線を感じた時だという。「女性のほうがずっとあの感覚に慣れているらしい」と彼は言う。「ものすごく神経が磨り減ったけれど、トランスの女性が初めて外へ出掛けた時の感覚には遠く及ばないはずだ」
 サウンドステージでは誰かがオート・ボエームを演出するためショパンをかけていた。大きな傘型の撮影ランプはツートーンの破裂音を発し――バン、シュー! バン、シュー!――サウンドステージはその音のたびパッと光る。立ち会うフーパーはジーンズと小綺麗なオックスフォードシャツ姿で、レッドメインは豪華なグリーン・ヴェルヴェットのドレスを着せられている。
「アイナーというキャラクターには、エドワード時代調の非常に質素で厳格な衣装で自らの肉体に囚われた人物を演出する必要がありました」と今作のコスチューム・デザイナー、パコ・デルガードは説明する。「それからリリーが息づき始めると、色彩の範囲を広げる必要がありました――あたたかい色遣いへ。1920年代は男女同体の身体にぴったりな格好をすることができたので、我々はとても幸運でした」ペドロ・アルモドバル作『私が、生きる肌』のデザイナーであるデルガードは、リリーの変移の段階を明確にするために時代物のファブリックを用いてぶかぶかで冒険的な中性用スーツを作った。
 レッドメインは元々長身だが、ヒールを履く女性役となると更に高くなる。照明が当たりレンズが開いた瞬間、彼は不安げだった。シーウェルがつかつかと近寄り、ウィッグのカールをいくつかゆるめて顔にかかるように微調整をする。彼女がせかせかと離れると、レッドメインはカウチの端に腰掛け、耳に手をやり、鋭い目でカメラの方を見つめる。ふいに彼は33歳の男性ではなくなり、フラッシュが顔を照らせば変身は完了する。

 

リリーのすべて』撮影開始から3週間後、レッドメインはロンドンからLAへ飛んだ。翌日の午後、英国時間午前5時頃に、アレキサンダー・マックイーンのミッドナイトブルーのタキシードを身に着けた彼はドルビーシアターの舞台へやっとのことで上がり、ケイト・ブランシェットから最優秀主演男優賞のオスカーを受け取った。彼はトロフィーを指し、アレック・ギネスとボブ・クラチットを合わせたようなバリトンの声で「彼の面倒を見る事をお約束します!」と息を切らしながら述べた。月曜日、彼はロンドンへ着き空港からスタジオへと直行した。「彼のトレイラーをみんなで飾っておいた」とヴィキャンデルは言う。「彼はまっすぐ撮影現場に行って素晴らしいシーンを撮ったの。そうやってすべてを切り離して一点に集中してすぐ役に戻る能力に驚かされた。あの人は仕事人間よ」
 スティーブン・ホーキングへの大変貌が集めた賞賛を思えば、その成功に続かんとするリリー役は興味をそそる。だが『リリーのすべて』との関わりはホーキング役よりもずっと前からのものだった。フーパーは最初からレッドメインを考えていた――「エディには確実に性の流動性(gender fluidity)がある」と彼は言う。「彼は並外れた半透明性、感情を表へ出す方法を持っている」――そして『レ・ミゼラブル』で共に働いていた際にシナリオを渡した。
「マリウスの歌を歌うのに僕のちっぽけな声帯から声を出そうと必死だった時に脚本を読んだ」と、ある朝にレッドメインはコーヒーを飲みながら説明した。我々はテリーズ・カフェの窓際のテーブルに座っていた。店は小さい昔ながらの軽食堂で――赤いチェックのオイルクロスにカンバーランド・ソーセージと卵――レッドメインが9年間住んでいたロンドンのサザーク区にある。彼は常連で、テリーの息子であるオースティン(彼は一帯の発展に合わせ父親から継いだメニューを高級化した)と親しい。レッドメインは素でさえ少年のようだ。無造作に上げた栗色の髪に、ブラックデニムのジャケットと生成り色のTシャツ、スリッポンを身につけている。一つの考えを続けて喋る訳ではなく、アイデアを途中で捨てて別の話を始め、三個目の話題に絡めた後に最初の話をもう一度再開する。
 リリーは彼にとって初めての女性役ではない。彼はイートン校時代の女性役から2002年のロンドンでの舞台『十二夜』でのヴァイオラ役まで演じた(「シスジェンダーの男性がシスジェンダーの男性を演じるシスジェンダーの女性を演じるんだ!」)。しかし変わっていくトランスの女性を演じるのはシェイクスピア喜劇での異性装とは「まったく違う」と彼は気付いた。「自分の無知に驚愕した」と言う。他のキャストらと共に慎重に勉強に取り掛かった彼は、1993年刊行、彼女の遺した書類から描き出された(ただし編集のニールス・ホイヤーが資料を改編したと考えられている)リリーの人生の記録『Man into Woman』から読み始めた。彼らはジャン・モリスによる性転換の画期的な回顧録『苦悩—ある性転換者の告白』(「目覚ましい文章だ――僕の考えでは偉大な文献における確立した規範の一部なはずだ」とフーパーは言う)を読み、ジェンダー論に取り組んだ。レッドメインは特に実際のトランスの人々の経験を聞くようにもした。「全体的に、僕が会ったトランスコミュニティーの方々は皆さんどんな質問でも歓迎という考えで、とてもオープンだった」と彼は言う。「その教育の意識は今この瞬間に世界で進行している事でもある」
 そのリサーチはスクリーンに染み渡った。レッドメインがやり遂げた、ぎこちない、アヒルの首のような襟の男性から、ようやく自分自身になることができた白鳥のような女性への変化と同様、リリーとゲルダの関係性の変化はフーパー作品の見どころだ。「トムが自由にさせてくれたからどの観点がいいのか色々試せた。撮影は時系列順じゃないの。デリケートな問題だった」おそらく彼女の中で最もまっすぐで親しみやすい演技をしたヴィキャンデルは、ゲルダをリリーと同じくらい目を引く人物、そして同じくらい勇敢なキャラクターに仕上げた。「エディに合う相手が見つかるかが多少心配だったが」フーパーは言う。「アリシアがそうだった」

 

 2杯目の紙カップのコーヒーを頼んだ後、(「オースティン、スプーン借りてもいい?」)、レッドメインと私はグレート・サフォーク通りのやさしいカーブに沿って歩き出した。「この地域の好きなところは便が良いところなんだ――舞台をやってる時にウエスト・エンドまで自転車で行ける――ザ・ブリッツ*1で深刻な被害を受けた、おそろしくディケンズ小説めいたロンドンの一画であると同時にね」とレッドメインは言う。「古さと新しさが奇妙に混ざり合ってる」
 トールミン・ストリートで彼は立ち止まって実際にチャールズ・ディケンズの名前をとったレンガ造りの小学校を指差した。近所には彼が仕事を始めた頃の数年間ずっと拠点にしていたアパートがある――『マリリン 7日間の恋』で国際的に注目を集めていたにも関わらず、早期の上り調子により彼は2004年の『The Goat, or Who Is Sylvia?』から『リチャード2世』まで舞台に出演した。現在レッドメインは、ハリウッドを魅了し舞台上で輝く主演級の英国人若手俳優の一団(ベネディクト・カンバーバッチトム・ヒドルストン、トム・スターリッジベン・ウィショーなど)の代表に近いところにいる。今はJ.K.ローリングが'20年代のニューヨークを舞台に脚本を書いた『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』での”魔法動物学者”役の準備中だ――「その作品についてはなんにも言えないんだ」角を曲がりながら彼はいたずらっぽく言った――しかし彼は『リリーのすべて』終了後の小休止、そして妻のハンナ・バクシャワと過ごす時間を歓迎している。昨年12月の結婚以来初の結婚生活の体験だ。「ハンナはすごい人だよ。素敵な知性を持っているんだ」と彼は言う。「僕が出る作品の脚本の多くを読んで色々な事を見通してくれる」
 結婚生活を謳歌している以外の時間では、彼は絵を描く。美術史を学びイヴ・クラインについて論文を書いたケンブリッジ時代を思い出させる趣味だ。「歳をとるごとに上手くなってる気になるものだよね、たとえ引退してても」と彼は言う。「だから年に2回くらい、休日に絵を描いて『確実に上手くなってるな!』って思うんだ。まあ実際は下手になってるんだけどね」
 今までのところビジュアルアートは彼の俳優業から遠ざかったことはない。お気に入りの舞台経験の一つは、レッドメイントニー賞を獲得した、ジョン・ローガン作2009年『Red』でのマーク・ロスコのアシスタント役だという。『リリーのすべて』では彼の関心の大きな部分をリリーとゲルダのアーティスティックな関係が占めた。レッドメインのお気に入りの画家のひとりであるデンマークのアーティスト、ヴィルヘルム・ハンマースホイの作品はエバーショフの執筆に影響を与え、のちにフーパーと彼のプロダクションデザイナーであるイブ・スチュワートがアイナーとゲルダデンマークのアパートの飾り気のないブルーグレイの美意識を作り上げる工程にも影響を与えた。しかし、このキャラクターを紐解いたのは写真班だった。「アイナーとして暮らしていた頃のリリーの作品はとりたてて革新的ではなかった」レッドメインは言う。「アイナーが糊のきいた襟の高い服を着た素晴らしい写真があるんだ。それが僕にとってちょっとしたキーだった。その外骨格*2がね」
 我々はレンガ造りのフラットや洗練されたオフィスビルの並ぶサザーク通りをそぞろ歩いていた。「全部工事中で最悪な眺めだ」と彼は大して不機嫌な訳ではなさそうな口調で言う。「この地区で気に入ってるのは主張が強くないところなんだ。ファサードが突き出ていたりしない。だんだんわかるんだよ」

 

 自分自身を見つける努力のためにリリーが行くこととなった当時の医療従事者との診察では、彼女はホモセクシュアル精神分裂病、錯乱しているなどと診断された。現在、トランスが独自の立派なアイデンティティとなってきたと共に我々にはずっと見識があったと考えたいものだが、進歩は最近のことだ。エバーショフの小説が世に出た15年前、本は握りつぶされ、ある店では"好色本"のコーナーに置かれた。尊敬される編集者による注意深く調査されたとある女性の変身の記述は、文学小説の棚から逸脱していると考えられたのだ。「文化を変える手助けになる物事のひとつはストーリーだ。ケイトリン・ジェナーのストーリー、ジェニファー・フィニー・ボイランのストーリー、ラバーン・コックスのストーリー、レネ・リチャーズのストーリー、チャズ・ボノのストーリー…毎日のようにリストは長くなっていく」エバーショフは言う。「それらのストーリーのポジティブな影響を完全に理解することはできない。我々が決して知ることのない人々の考えへ入り込み、我々が決して気付けない方法で彼らに触れるんだ」
「人が『リリーのすべて』を作るのは当然という風に話すのは笑えるよ」とフーパーは言う。ルシンダ・コクソンの書いた脚本は長年に亘り回覧された(さまざまな時点でマリオン・コティヤールニコール・キッドマングウィネス・パルトローシャーリーズ・セロンの主演が想定されていた)。フーパーが携わった初期段階では複数のスタジオが予算確保が困難なために難色を示していた。「小さく情熱的なプロジェクトとして始まったんだ」と彼は言う。
 しかし彼にとっては、彼のキャストにとってと同様、社会の風潮を変えることは運動の終わりを意味するものではなかった。アメリカでは31の州においてトランスであるという理由で解雇される可能性があるとレッドメインは指摘する。「僕はこの映画を経て――ひとつの人生の学習を経て、そして彼らトランスの方々と話をできる特権を持つポジションを経て――何らかの形でトランス問題の主唱者、そして味方になれたらいいなと思っています」。『リリーのすべて』は行動主義の作品ではない。けれど彼は今作が複雑なトランスの経験の有り様を伝えるものであることを願っている。
「演技の世界ではコントロールできることや選択肢はとても少ない」レッドメインは言う。「過去数年で僕に選択肢があったのは――それもたまたまだけど――『これは自分が参加したいストーリーか?』という項目だけ」彼は一瞬口をつぐみ、それから笑顔になった。「そうなんだ」

*1:空襲

*2:貝の殻、カメの甲羅、カニの甲殻などのイメージで使っている言葉だと思われる