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【vulture】ディズニーはジェームズ・ガンとロザンヌの違いを知るべきだ

2018/7/23のvultureの記事の拙訳です。間違いがありましたらどうぞご指摘ください。

 


 先週金曜、ウォルト・ディズニー・カンパニーは脚本家兼監督のジェームズ・ガンとの仕事上の関係を唐突に断った。この会社でのガンの三作目の映画、ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー Vol.3(原題)は今秋制作開始予定だった。ガーディアンズの最初の二つの映画たち(失礼、"ボリュームたち")はディズニーで160億ドルの総利益をあげた。ゆえにこれは小さな問題ではない――世界で最も成功している映画フランチャイズの中心人物の契約途中解除というのは。ガンの契約を終わらせたのは彼の仕事の内容ではなく、過激派監督/ネット上のバカ/扇動者というマーベル・ユニバース入りする前の彼の立場だ。現在性的不品行に次いでハリウッドでのキャリアが終わる原因第二位である悪しきツイートのせいで、ディズニーでの彼の時間は終わりを告げた。そのツイート――無数の、実に不快な、この企業が言うところの『擁護しようのない』、相次ぐペドフィリアに関するむかむかするジョークたち――は目新しいニュースという訳ではなかった。それらのツイートはかなりの長期間、ガンが最終的に削除したブログの記事と併せてオンラインで議論の的だった。もしもスタジオがそれについて知らずにいたのだとしたら、その理由は単に注意を払っていなかったからということに他ならない。(ガンの解雇についてのスタジオの声明では、担当者がどれだけの期間彼のツイートについて知っていたかという問題は取り上げられなかった。)

 明らかに、ディズニーに引き金を引かせたのは、オルト・ライトの自称・罰を下す者でありPizzagate*1/InfoWars*2ユニバースの立役者であるマイク・セルノビッチのツイートだ。彼はガンのジョークを掘り起こし、戦略的に「ディズニーはなぜこの男に子供の周りで仕事をさせてるんだ?」という正義モードになった(ガーディアンズの出演者は大人なのだがまあいい)。狙いは見え見えで、セルノビッチはのちにガンのツイートについて「これがジョークだって?」と書き、その後本題に入って"100人"以上のハリウッドの人間がペドフィリアのジョークをTwitterに書き込んでいる実例があると主張した。あら、そう。やったね。"今は何もかもがでたらめだ"の地(the land of Everything Is Garbage Now)ではこれから二週間はお祭りだろう。

 いまだ開かれていない箱はたくさんあり、その中で最も小さく最も興味をそそらないのが『子供とのセックスのジョークを言うよりもっとマシなことに時間と創作エネルギーを使え』というものだ。それを議論する必要などない。ジョークを言う絶対的権利があることはさておき、ガンを含めたほとんど誰もが悪いものだと合意しているのだから。彼は後悔の旨をツイートし、解雇された後には彼の「激しく無神経な」ツイートに対して声明を出した。総合すると「彼らは現在の私についてじっくり考えていない」けれども「ビジネスの決定」として「全責任を負う」。なるほど。

 間違いの認め方としてはよいだろう。これは役に立つ教えだ。これからは誰もが他人に聞こえないように歌うべきで、誰も見ていないように踊るべきで、数年後に合併のさなかで政府の監督機関に抵触しないよう努めている企業に雇われる前提でツイートすべきだ。仕事を周囲にショックを与えたい衝動に任せるのではなくあなたの『ブランド』に委ねよう。けれどガンがこの事態を招いたのだと言うことは短絡的だ。彼が招いたのではない。我々が聞かされた以上のストーリーはないと仮定すれば、外から見る限りディズニーは、半日考えたのみで屈服したのだ。攻撃的なスピーチについての進行中の議論を己の目的に合うように作り変えようとする動きから来る、明らかに陰険な圧力キャンペーンに――精査すればすぐに問題がわかる再定義だ。そうすることでディズニーは「The Giving Tree(邦題:おおきな木)の続編では木が子供にフェラチオを施す」というガンのジョークよりも遥かに攻撃的で危険なことを承認した。

 ガンが引きずり下ろされるまでの道はおそらく2ヶ月前、ディズニーの(局であるABCを経由した)突然の『Roseanne』のキャンセルから始まった。番組の主演がオバマの元アドバイザーのバレリー・ジャレットを猿になぞらえ、おまけにムスリムジョージ・ソロスを攻撃した後の事だ。ガンのようにバーはかねてからソーシャルメディアにおいて最低の立場にいて、『Roseanne』リバイバルの以前にABCにはよく知られていた。ガンと違って彼女を解雇たらしめたそのツイートは真新しいもので、その結果としてディズニーは、トップレベルの人材に対しその先の経歴がクリーンである限りは事実上本採用前のあらゆる攻撃的行為への恩赦を与える、という線引きを進んで行った。

 バーはトランプへの支援により右派の(そして第一話の評価を祝うため彼女に電話をしたトランプ自身の)ヒーローとなった。彼女が墓穴を掘った際、オルト・ライトはすぐさま彼女の解雇をリベラルメディアの中傷運動の終点だと捉えた。こうしてこの問題が始まったのだ。右派の一部、ブライトバート*3/トランプ/セルノビッチは常にレイシズム(人種主義)、ホモフォビア(同性愛嫌悪)、ゼノフォビア(外国人嫌悪)、セクシズム(性差別)、反ユダヤ主義や反ムスリム主義のレトリックすべてを『政治的に正しくない』という一つの表題の下に置くことで最小化しようとしてきた。彼らの世界では、思い切って『ありのままに伝える』人々に腹を立てるのは『スノーフレーク*4』だけで、彼らは #MeToo ムーブメントからレイシズムへの攻撃に至るまでのすべてを、リベラル派が政治的正統性を侵害する人々に与えたペナルティーだと考えている。セルノビッチがガンを狙って行った蹂躙行為は「そちらが言葉が攻撃的だと指摘して誰かをクビにできるなら、我々にもできる」と告げるための計画的な態度だ。

 そのやり方は、有効性のため、明確な線引きをすることへの意図的な拒絶に依存している。処罰がその攻撃の強さではなく嫌な思いをしている(あるいはしているふりをした)人物が騒ぎ立てる大きさによって検討されるべき世界を要求しているのだ。ゆえにガンの、ホテルのシャワーの勢いが弱すぎて3歳児が頭に小便をしているようだというコメント(イエス、これがまさに彼の解雇の後押しの中で引用された"ペドフィリア"ジョークの一つだ)は、アフリカ系アメリカ人やLGBTQコミュニティや女性への総当たり攻撃と同じ重要度で受け止められた。もしもあなたに2012年のガンの「セックスした3人の男と赤ん坊 #unromanticmovies」というツイートと「女が最後に男の権利問題をサポートする計画をしたのはいつだ? ファグでいるのはやめろ。誰が乳癌とレイプなんか気にする? 私は気にしない」というツイート(2012年のセルノビッチのツイートだ――彼はレイプへの関心のなさについては非常に関心を持っている)の違いがわからないのなら、わかろうとしていないか、そこに違いはないのだという主張に耳を塞がれているかのどちらかだ。例えばこのニュースサイクルの裏側にすぐさま吸盤をくっつけてガンについて「それらのツイートが真実なのだとしたら彼は起訴されるべきだ」と汗だくでツイートしたテッド・クルーズのように。土曜にはガンのWikipediaのページに『ペドフィリアの告発』と題された小見出しができた。その後書き換えられたが、評判には傷がついた。

 ディズニーはその世界的ブランドゆえにその名に関連する者は非の打ちどころのない人物でなければならないと常に神経を尖らせてきたが、21世紀フォックスとの合併に伴い、これからはアメリカの他のどの会社よりも我々の観る作品を担うことになる。企業が"何を処罰し何を擁護するか"をどのように決めるのかはその従業員と顧客が聞く権利のある質問であり、その回答は「慌てふためきながら急いで決めます」以外であるべきだ。

 ウェブサイトDeadline Hollywoodはこの週末、ガンの解雇はハリウッドの『言論の自由の抑圧』を引き起こすことになるとやきもきしていたが、言論の自由というのが雇用主からの取るに足らない保証つきで公的な意見を述べる権利を意味したことはない――バーにとってもそうだったしガンにとってもそうだ。それが『言論の自由は絶対だ』であろうと『他人を攻撃するものはなんであれ定義上攻撃だ』であろうと、単一の不変の原則を応用した考えによってこの問題が解決されることはないだろう。ニュアンス、意図、意味を審査することでのみ論ずることができる。企業がめったに専門に扱っていたり卓越していることのないアプローチだ。

 表面上類似している二つの物事が実際には異なるものなのだという主張がすぐ"偽善だ"という事実無根の嫌疑をもって迎えられる時代を我々は生きている。けれどジョークは――それがあなたが夕食の席、ロッカールーム、他のどんな場所でも話さないような幾つもの不気味なジョークでも――大衆のステレオタイプ化や、既に広く差別と憎悪の対象となっている集団への中傷と同じではない。サラ・シルバーマンの「私は中絶したいけれどボーイフレンドと私とでは妊娠が困難で」という発言は、テッド・クルーズは殺人共謀のかどで彼女を起訴したいだろうが、赤ん坊を攻撃するものではない。ロザンヌ・バーがジョージ・ソロスを「仲間のユダヤ人を突き出して殺させ財産を奪った」ナチと呼んだことも同様だ。かたやジャブ、かたや侮辱(バーはのちに謝罪した)。オルト・ライトの望みは、差別的であること、憎むべきこと、中傷的なこと、あからさまで脅迫的なことを"単なる悪趣味"と同じ区分に区割りすることであり、左派があきらめて肩をすくめ「オーケー、認めるよ、単なる悪趣味なのかもね」と溜息を吐くことを期待している。けれどそうではない。そして、表現がすべてである会社がそれらの差異を区別できないのなら――そしてさらに悪いことに、自社の"攻撃的"の判断をネット上のプロの嫌がらせ屋たち(trolls)に委託してしまうのなら――クリエイティブなアーティストたちがディズニーは自分を守ってくれると信じる理由などあるだろうか。

*1:オルト・ライトを中心に広められた陰謀論

*2:有名フェイクニュースサイト

*3:右派のオンラインニュースサイト

*4:snowflakes、政治的な侮辱のスラングとしては一般的に右派から左派に使われ、打たれ弱く激しやすい人々を指す